宗田理のぼくの日記帳
 
2000年9月以前
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。

 
9月30日(土)
終日「新ぼくら」の執筆。今度のストーリーはアラビアンナイトの「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」を現代ふうにアレンジしてある。子どものころ読んだアラビアンナイトの印象はいまでも忘れられない。もし無人島に流されるようなことになって、なんでもいいから1冊だけ本を持っていっていいとなったら、ぼくは迷うことなくアラビアンナイトを持っていく。
「おお幸多き王様、わたくしの聞き及びましたところでは、今をさるはるか昔の歳月と遠い過去の日々のこと、ペルシアの町々のなかのひとつの町に、ひとりはカシム、いまひとりはアリ・ババという名の、二人の兄弟がおりました」
このはじまりを読んだだけで胸が躍ったものである。
今度の「新ぼくら」を胸躍るものにしたい。


9月29日(金)
朝、めがねを取りに行く。かけてみると、いままで二重に見えた像がやっと一つになった。といっても元どおりにはならない。あとは正常になるのを気長に待つしかない。
夜、パーティーを開く。8人集まった。はじめて作ったまつたけめしでどうなることか心配だったが、評判がよかったのでほっとした。自分で食べても、まあまあのできだと満足した。パーティーが終わったのは11時過ぎだった。部屋のなかは熱気で熱いほどだったが、外にでてみるとやはり秋であった。
   
▲記念撮影 ▲まつたけめし



9月28日(木)
メガネができたと、めがね店から連絡があった。明日の午前中に取りに行くつもり。このところ毎日「新ぼくら」を書いている。一度書き上げたものを読み直して解体し、もう一度書き直している。手書きのときはここまでやらなかったけれど、その点パソコンは便利だ。と言っても、30ページ近くを捨ててしまうのは辛いものがある。その上、目が悪いから打ちそこないが多い。それも明日になればよくなると思うと明日が待ち遠しい。

あと、昨日の日記に会食の料理について書いたところ、さっそく統基くんから返事をもらった。統基くん、パーティーの献立を考えてくれてありがとう。早速29日には作って、Mさんにたべさせるつもり。幸いなことに、ナシと新潟のコシヒカリとまつたけが手に入ったので、まつたけ飯でも作ろうと思っている。


9月27日(水)
朝4時起床。いつもは5時過ぎなのだが、目があいてしまったので起きる。仕事場は、ベッドから降りると直ぐ机に向かえるようにしてあるので、歩く手間はいらない。去年の夏までは手書きだったが、いまはパソコンを使っている。東京にいるときは自炊しているので、7時には朝食をとる。隣にコンビニがあるけれど、そこで買うようなことはしない。面倒でも自分で作る。
29日は、かつてK社でぼくの担当編集者だったMさんの結婚前祝い(幹事のT君は「Mさん人妻前夜、祝いの宴」などと言っていたが)で若い編集者やボクプロスタッフたちと、ぼくの手料理で会食することになっているが、まだ何にするか考えていない。いいアイディアがあったら教えてほしい。


9月26日(火)
また、目で失敗してしまった。
今日、電車の回数券を買おうと、1300円のボタンを押そうとしたが、まだ二重に見えるので、つい横の1200円のボタンを押してしまった。駅員のところに行き、間違えたのでお金を返してもらい、もう一度1300円のボタンを押そうとしたら、また手元が狂って1200円のボタンを押してしまった。さすがに、もう一度駅員に交換してもらうのは恥ずかしくなってしまったので、少し時間をおいて、明日代えてもらうことにした。


9月25日(月)
検索エンジンのYahoo! JAPANより、ボクラコムが36時間以内に掲載されるとのメッセージメールをもらう。もっと多くの人が、ボクラコムに訪れることを期待する。
ところで、今日、知人の某政党代議士から電話があり、ボクラコムを見たとのこと。どこから知ったのか、聞くのを忘れたが、その代議士曰く、とても良くできたページだと誉めてくれた。で、自分のところの若い事務員にもぜひ見るように言ったそうだ。
特に、ぼくと若い人たちとのメールのやりとりに注目したらしい。若い人たちがこんなにも、真剣なメッセージを送ってくることに新鮮な驚きを感じてくれたようだ。


9月24日(日)
朝はいつもどおり5時過ぎに起床。今朝は7時からシドニー・オリンピックの女子マラソンを見ることにした。終わってみると高橋尚子の優勝。そのインタビューでの彼女の答えが面白かった。高橋はすごく楽しく42キロを走れたそうだ。たしかにテープを切ったあと、全然苦しそうな表情をしていなかった。一番になるということはこういうことなのだ、と妙に感心してしまった。どこの世界にもトップの人間がいる。こういう人とまともに競争したらオーバーペースで脱落してしまう。やはり自分のペースを知って走るしかない。といって諦めることはない。シモンがそれを示している。マラソンはそういう目で見ると面白い。


9月22日(金)
新聞を見るとあいかわらず少年に関する記事が多い。その中で中高生に作業を義務化するというのに関心があった。それというのも、戦争中に少年時代を送ったぼくらにとっては、作業は当たり前であった。中学1年のときは農作業の手伝いに出かけた。主人が戦争に駆り出されて男手がなかったからだ。春には麦刈り、秋には稲刈りである。昼になると、田んぼのあぜに腰をおろして食べる人参飯はうまかった。3時のおやつは、さつまいもか落花生だったが、それがまたうまい。だから作業の日は楽しみだった。その後、勤労動員で工場に行くことになるのだが、これは少しも楽しくなかった。やはり、やるなら農作業がいい。これはやっても面白いと思うよ。学校を出るだけでもいい。


9月21日(木)
名古屋の自宅から東京の事務所へ。


9月20日(水)
どうもまだ眼が本調子じゃない。二重に見えてしまう。パソコンを見るのは大丈夫だけど、歩くときも片目をつぶっていないとうまく歩けない。遠近感が無くなって不自由だが、これも仕方がない。
今日は、自転車に乗ったのだが、降りようとしたとき、片足をつくタイミングと位置を間違えて転んでしまった。目医者からはまともに見えるようになるまでに数ヶ月かかると言われているので、それでは困ると思い、今日、新しくめがねを発注した。できてくれば、少しは楽になるはずなんだが。


9月19日(火)
シャーロック・ホームズ辞典(ちくま文庫)を読んでいたら、鵞鳥(がちょう)クラブというのが出ていた。毎週数ペンスずつ出し合い積み立てると、クリスマスに鵞鳥をもらえるというシステムである。これは「青いガーネット」に出ている。この鵞鳥クラブのアイディアをヒントに何か考えられないだろうか?たとえば、毎日百円ずつ積み立てて、クリスマスになったらおばあさんをもらえるとか……、これはだめか。


9月18日(月)
ホームページを開くまでは、どのくらいの人たちが来てくれるかわからなかったが、予想以上の数で驚いた。それにみんな熱烈なぼくらファンなので、これだと頑張らなくてはという気になる。また、「ぼくら」以外のもので、「ナニワ金満高校」や「黒十字」などもゲストブックで要望があり、WEB上でできるように考えたいし、とにかく、まだ始まったばかりだが10月までにはいろいろと改造して楽しいものにいていきたい。
唐突だけれど、ぼくの熱海の仕事場の目の前に松の枯れ木がある。その枯れ枝にカラスがやってきて鳴くのだ。カラスに話しかけてみようと、いろいろやってみたが無視されてしまった。そのうちカラスも来なくなった。もうすぐ熱海に行くからもう一度挑戦してみようと思っている。

9月17日(日)
今日、HPを開設したばかりなのに予想を超えるアクセスがあった。あらためてぼくらファンの熱い思い入れが伝わってきて、「それからのぼくら」「新ぼくら」を期待に応えられるものにしたいと思った。みんなのメッセージはちゃんと読んでます。

9月16日(土)
夜シドニーオリンピックで柔道の金メダルを二つ取ったことを知った。ホームページはなんとか明日開設するところまで漕ぎつけた。はじめたら、いろいろなことをやりたい。 「先生とつきあう101の方法」、「親とつきあう101の方法」なんてのを、みんなと一緒に作ったら面白いんじゃないかとか。まあ、開けてびっくり玉手箱にしたいものである。

9月15日(金)
きょうは「敬老」の日だ。この日は恒例として市長が百歳以上の長寿者を訪問して記念品を渡すことになっている。ぼくは間もなくこの「敬老の日」は死語になり「棄老の日」になると予測している。「棄老の日」というのは市長が老人のところにやってきて、昔の日本にあったように、「姥捨(うばす)て山」行きを宣言する日である。まさかそんなことが起きるわけがないと思っている人が多いと思うけれど、いまの母親たちが自分の子どもだけは競争に勝つようにと「お受験」に夢中になっている様をみるにつけ、競争に勝つということは弱者を踏み台にし、平気で切り捨てることができる人間に育てているのだということにまったく気づいていない。自分だけはそうではないと思いこんでいる。これがとんでもない間違いだったと気づいたときはもう遅い。「敬老の日」はそういうことを考える日である。

9月12日(火)
犬の誕生日にレストランに連れて行って、フルコースのフランス料理を食べさせているのをテレビでやっていた。料金は1万円である。君たちのなかで、誕生日に1万円のご馳走を食べさせてもらえる人が何人いるだろう。これじゃ犬以下だ。飼い主も、レストランもそしてそれを取り上げるテレビもなんと愚かだろう。こんなことを平気でやってなんとも思わないとしたら、大人って本当にバカだ。これは江戸時代の犬公方以下の大愚行である。ついでにもうひとつ。いつだかテレビでキャットフードのコマーシャルをやっていた。その缶詰の中身はマグロなのだが、なんとそのマグロは上質の身だと言っている。マグロの屑ならいざしらず。上質の身を猫に食べさせるとは。これでは世界中から日本のマグロ漁を規制されるのは当たり前と思わないか?こういうのを動物愛護と考えているとしたら何をか言わんやだ。
そこで思い出した本がある。1981年に二見書房から発行された本だが、その題名が「死んだ猫の101の利用法」というのだ。全編イラストでセリフはないが、これがアメリカでベストセラー第一になったという。この本を見つけるのは難しいかもしれないが、猫好きにとっても面白い本だ。

9月10日(日)
今度の「2A探偵局」「マザーグース殺人事件」(仮題)を書くために、オックスフォード大学ボードリアン図書館蔵の「復刻マザーグースの世界」を読んでいる。このコレクションは、復刻版で28冊もあるので、読むのもたいへんである。今年のはじめには英国のケルとにも行って、マザーグースのことをいろいろ調べてきた、きっと面白いものができると思う。

9月7日(木)
ものが重なって見えるようになってから、もちろんこのパソコンも片目で打っているのだが、面白いことが起きた。それは急にアイディアが噴き出すようになったことである。
なぜだろうと考えているうちに、これは今までとは違った世界が見えるからではないかという気がしてきた。つい先日ピカソがああいう左右非対称の絵が描けたのは、彼が偏頭痛だったからだという説があるらしい。人間というのは、完璧な健康よりもどこか悪いところがあったほうがいいのかもしれないと、自分なりに納得した。それにしても、片目で食べる食事はうまくない。

9月4日(月)
「幻想物語」私市保彦 第八章 冥界の地図より
 古代人は、死を直視していた。そして、かぎりなく生きることは、かぎりなく死ぬことであるという生と死の弁証法を知っていた。
 古代人は、肉体の消滅という視覚的な衝撃と、死後の世界への(第二の生)への恐怖を、他界神話の夢想という形で想像力にとじこめることによって、死への恐怖をしずめ、死を直視し、死を受け入れている。
 肉体の腐敗と消滅への原初的な恐怖をうたいあげた私たちに身近な伝承は、なんといっても、日本の古事記に語られるイザナギ、イザナミの説話である。
 火の神をうんだため全身にやけどをして黄泉の国(冥界)に去った妻のイザナミを追って、冥界に降りたイザナギが、自分の姿を見てくれるなという妻のタブーを破って、うじ虫のたかった見るも恐ろしい腐乱死体を目撃するくだりは、古事記のもっとも衝撃的な場面である。
 ここには、うじがたかり腐りかけている死体と、その死体にとりついている蛇の形をした雷(イカヅチ)の神によって、死の恐怖の完成した形象となっている。
 私の姿を見たなと追いかける次の展開は、血も凍るほどぞっとする場面であり、死霊のたたりへの原初的恐怖の叫びがきこえてくる。

 最近簡単に人を殺してしまうのは、死へのイメージがなくなっているのではないか。そう考えたので死にかんする本を何冊か買った。「死のコスモロジー」「日本人の地獄と極楽」「地獄めぐり」。

9月3日(日)
ファンタジー関係の本を持って帰る。「幻想物語の文法」「幻想文学1500」「ファンタジーの冒険」「ファンタジーを読む」。

9月2日(土)
熱海の仕事場に行く。

8月31日(木) 「新ぼくらシリーズ」の資料としてマジックの本を買う。「世界のマジシャン・フーズフー」「奇跡のマジック」「超魔術」「カードマジック事典」

8月26日(土)
イラン関係の本購入。「ゾロアスター教」「ゾロアスターの悪魔払い」「ゾロアスターの神秘思想」「宗祖ゾロアスター」。

8月24日(水)
数日前から、映像がダブッて見えるようになって、たいへん困っている。白内障の手術をしてからどうもおかしい。医者によれば、これは数ヶ月すると自然に治るらしいが、こうやってパソコンを打っているのも片目である。両目だとダブってしまうが、片目なら何とか見えるからだ。それでも書くよりはずっとらくである。パソコンをやっていてよかったと思っている。
最近思うことがある。昔は幼いころ年寄りからたたりとか、亡霊があるという話をよく聞かされた。こどもたちは、それを真剣に聞いたものである。しかしいまのこどもたちでそれはホラーまんがの世界でまともに信じるものはいない。たたりというのは、仏や怨霊などがするわざわいのことを言うが、昔のこどもたちは、それが心の奥深くに刷り込まれていたので、人殺しの抑止力になっていたように思える。それは想像力でもあるが、親たちからそういう話を聞くこともなくいきなりゲームの世界に入ったこどもたちには、死にたいする想像力がない。やはり子どもにはコワイ話をきかせるべきである。

8月21日(月)
いきなりこんな質問をすると驚くかもしれないが、だれかを殺してやりたいと思ったことはないか?大抵の人は一度あ二度はあると思う。毎日そんなことを考えている人もいるかもしれない。
しかしそう思っても実行に移す人はまれである。なぜなら人を殺してはいけないというブレーキが利いているかっらだ。ところがこの信仰がいま音を立てて崩れてきはじめた。
若い人が大した理由もなく簡単に人を殺してしまう。そんな事件が頻々と起きている。こんど講談社から発売した「十三歳の黙示録」は、少年たちの殺人を真正面から取り上げたものである。そのあとがきにこう記した。
「剣で殺すものは、自らも剣で殺されなければならない」
この言葉はヨハネの黙示録十三章にある。人を殺してはいけない。それは自分を含めてすべてを滅ぼしてしまうからである。もし人を殺したい衝動に駆られたら、実行する前にぜひこの本を読んでほしい。
それともう一つ、いかに少年であろうと、少年法で保護されていようと、犯した罪は生涯消えないということを思い知ることである。

8月15日(火)
今日は酷暑だった。55年前の今日もこんな日だった。その日、4年間にわたる太平洋戦争が日本の無条件降伏によって終わった。それまで不滅神話をたたきこまれていたぼくらにとっては、戦争が終わった安堵というよりは、屈辱的な日であった。
そのときぼくは17歳であったが、上陸してくるアメリカ軍を迎え撃ち、国のため、天皇のために命を捨てる覚悟ができていた。それが突然の終戦である。ぼくは茫然自失した。その後の大人たちの変わり身の早さには、ただただ驚き、呆れるしかなかった。自分が信じていたものが音を立てて崩れ落ちるのを目の前で見た。
昨日まで鬼畜と呼んでいた連中が、今日は「すばらしいアメリカ」と、臆面もなく言うのだ。こどもを騙して戦場に送ったことなどかけらも感じていない。このとき日本人の伝統的モラルは瓦解してしまった。それはいまもつづいている。
ぼくはこのとき自分にいいきかせた。大人の言うことを信じてはいけない。ぼくが大人なになったときは、こどもだけは裏切らない人間になろう。この原体験はいまも自分に言い聞かせている。
ぼくにとっての8月15日はいろいろなことを思い出す日である。

8月8日(火)
若い編集者たちを囲んでの慰労会。新宿の京王プラザで。イランからの留学生、アレズさんもゲストに。いつもながら元気いっぱい。イラン人なのに、日本人の我々より日本語をよくしゃべる。アレズさんを見ていると、こっちも元気になってくる。「ぜひ、イランにいらしてください」とのこと。今年中には行ってみたい。イランを舞台にした小説も書いてみたい。
アレズさんと
▲アレズさんとツーショット。元気だ。

8月7日(月)
1945年の今日、愛知県豊川市にある日本海軍の軍需工場豊川海軍工廠は、アメリカのB29による爆撃により、わずか26分間で壊滅し、2500人以上の爆死者を出した。そのなかには450人以上の学徒もふくまれていたこの事実は広島、長崎の原爆投下という大惨事の陰に隠れて、地元以外に知る人は少なかった。
学業を国の命令によって投げ出し、軍需工場で働いていた当時の中学生たちは、どう生きどう死んだのか。生き残った人たちの証言をもとに、彼らの青春の日々をたどったのが
『雲の涯(くものはて)』(角川文庫)である。最近、中学生たちが簡単に人を殺したり、自殺したりするのを目にすると、ぼくは55年まえの中学生たちのことを思い出す。
本書は絶版になっているので、近いうちにネット上で発表したいと思う。

8月5日(土)
「仮面学園」「死者の学園祭」の初日。舞台挨拶のために主役の藤原竜也、深田恭子ほか12人が控え室に集まった。深田恭子とはそのときはじめて会ったのだが、彼女は小学校五年のときからぼくらシりーズのファンで何冊も読んでいると言ってくれた。
それから舞台挨拶だったけれど、大変な熱狂ぶりだった。そのあと新宿南口の紀伊国屋書店でサイン会をおこなった。このとき中年の婦人がやってきて、わたしの息子がホームページで「ぼくらの解放区」をやっていたが、いまは入院して中止していると言った。「ぼくらの解放区」ならぼくもよくみている。そのことを言うと、お母さんはとても喜んだので、本に「落ちこむな」とサインした。
これで一週間以上にわたる映画キャンペーンは終わった。まるで夏祭りのようで、疲れたけれど楽しかった。ただ顔にぼつぼつができたときは、仮面のたたりかと心配して病院に行ったら、アセモだから水で洗えばいいといわれ、大したこともなく快方に向かっている。

(その後、ぼくらの解放区は現在も引き続き運営されています--ボクプロ)

8月4日(金)
豊橋市の精文館書店でサイン会

8月1日(火)
イランからやってきた吟遊詩人(アシェグ)チャンギースの弦楽器サズによる演奏会に行く。イスラム革命20年を経たイランでは、今改革派による自由化が急ピッチで進み、「歌舞音曲は宗教的堕落への道」として音楽活動を禁じられてきた演奏家たちが、ふたたび楽器をてにして諸国を目指しはじめた。
サズは、トルコで古典から現代歌謡まで幅広くつかわれ民族リュートで、木製、ヘルメット大の共鳴胴を持っている。インドの「シタール」や中国の「三線」、沖縄の「三味線」とお遠縁になるらしい。
吟遊詩人の歴史は古い。中央アジア、西アジア一帯にハーン(遊牧国家の君主)たちが群雄割拠していた時代でさえ、彼らは国境をフリーパスで通行できたという。ときには神のようにあがめられた時代もあったという。
吟遊詩人の演奏会
▲演奏会


7月26日(水)
ラジオ収録。8月5日放送。内容は映画と仮面について。

7月25日(火)
午後1時過ぎに記者会見。そのあと名古屋駅の星野書店でサイン会。午後7時から公会堂で試写会、舞台挨拶。

7月23日(日)
朝の9時過ぎの新幹線で福岡に向かう。午後1時過ぎにホテルで新聞取材を受ける。そのあと天神の紀伊国屋書店でサイン会。夜は7時から舞台挨拶。終わって新幹線で名古屋に着いたのは12時少し前だった。

7月22日(土)
「仮面学園」のキャンペーンのために大阪へ行く。午前10時半から記者会見。藤原竜也、黒須摩耶、小松監督の四人。そのあとラジオのインタビュー。午後は高校で試写とティーチ・イン。女子生徒のパワーがすごい。そのあと梅田の書店でサイン会。午後7時から舞台挨拶で一日が終わった。真夏に大阪を走り回り、話すのは疲れたが、若い人たちと身近に接することができて充実した気分になった。


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