宗田理のぼくの日記帳
 
2000年10月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。

 

10月31日(火)
昨日一カ月後の検診に病院に行ったが、複視のほうもかなりよくなってきた。今は矯正のめがねをかけているので、パソコンを打つのに支障はない。ただこのところの気温の低下で、少し風邪気味だが、たいしたことはない。
「新ぼくら」の方は、枚数が予定より増えそうだ。その理由というのが、小説に登場する人物と現実の人物とが偶然似通うのだ。読んでもらうと、きっとこれはあの事件をヒントにしたかと思うかもしれないが、それは事件が小説を追いかけたのだ。
今日は10月31日。昭和18年の10月31日を思い出した。中学三年のときは愛知県の三河に住んでいたが、福島県の棚倉にいる祖父が危篤になり、夜行列車で出かけた。岡崎から東京まで八時間くらいかかった。朝早く着いて、そこから常磐線に乗るまで時間があったので、上野公園に行き、西郷さんの銅像の下でぼんやりしていた。常磐線で水戸に着いたとき昼になったので駅弁を買ったが、その当時はふかしたさつまいもしかなかった。水戸から水郡線に乗り換えて棚倉に着いたときは、すでに夕方になっていた。祖父を見舞った帰り、東京の新宿で「無法松の一生」を見たが、それが戦争中に見た唯一印象に残る映画だった。今から57年前の話である。
プレゼントコーナーにたくさんの応募、ありがとう。今回は、とりあえず、締め切ったが、次は映画「仮面学園」の特大ポスターにぼくのサインを入れてプレゼントする予定。今回、ハズレた人も、またぜひ応募してほしい。
ぼくのファンサイトの「ぼくら新聞」が第1号を出した。良くできている。トップページにリンクがあるのでそこから行ける。
質問メールの答えが溜まっているけれど、今は締め切りに追われているので、少し待ってほしい。


10月29日(日)
自由業という言葉にはいいなあと思う反面、ある危うさがある。それはだれにも束縛されないけれど、いつ仕事の注文がなくなり、収入が途絶えるか予測がつかないからである。
フリーターというのは、定職を持たないということで自由業と似ているが、ぼくのいう自由業とは違う。ずっとこういう仕事をしていると、土曜日も日曜日もない。昨日は午前二時半に起きたが今朝は三時半から仕事をはじめている。べつにだれからも強制されるわけではないが、自然にこういうことになってしまう。土、日に働くかわりにウイークデーの昼間、街をぶらぶら歩いていたりする。東京のような大都会だと目立たないが、小都市に住んでいたときは、みんなから奇異の目で見られた。成人の男性が働きもせず街を歩くのは変だという常識があるからだろう。人と違うことをするぼくは、そこでは異物だったのかもしれない。
役所で長く生活していると、その閉鎖社会の常識が一般の常識と思いこんでしまう。長野県庁で、知事が名刺を配ったとき、その名刺を常識はずれだと、知事の目の前で二つ折りにした局長がいた。その光景はテレビで放映され、全国から非難の声が寄せられた。この局長は、長い役人生活で、ちょうど井戸の中のカエルみたいに広い世の中のことは何も知らなかったのだ。こういう役人はほかにもいそうな気がする。それが公開されただけでも意味はあったと思う。


10月28日(土)
いま午前2時30分。目があいたから起きることにする。ふつうは5時頃カラハジメルノダガ、ストーリーが終わりに近づくと、自然に早起きになってしまう。この時間だと起きている人もけっこういるんじゃないかななんて考えたりして。『新ぼくら2』を書き上げたら『悪魔教師』にかかる。2章はもう半分ほどできている。それから来年2月刊行予定の『2A探偵局 マザーグース殺人事件』(仮題)を書き上げないと今年は終わらない。その間に取材のための旅行をいくつかしなければならない。病気なんかしていられない。


10月26日(木)
今日『新ぼくら2』の四章を角川書店に送る。これで3分の2が終わった。このところこれにかかりきりなので、他のことはほとんど頭に入らず、日記もさぼっていたが、長野県知事の田中氏、東京21区の川田さんが当選。どちらも政党とは関係なく当選している。実は今度の物語にそういう女性を登場させたので、不思議な一致に驚いている。こういうことは、ぼくの作品で時々起きるので、またかと思った。


10月22日(日)
20日から名古屋の自宅。自由国民社から『KIDS IN BOOKS(不思議の国の子どもたちと130人のイラストレーター)』という本が発売され、ぼくのところにも送られてきた。この本は、子どもが主人公であったり、子どもの登場する話に複数のイラストレーターが、その子どもたちの絵を描いて集めたものだ。アラビアンナイトのアラジンや、怪人二十面相の小林少年、ズッコケ三人組のハチベエ/モーちゃん/ハカセ に並んで、『ぼくらの七日間戦争』の英治が取り上げられている。以下のアドレスにイラストがあるので見てほしい。みんなが想像する英治とどう違うかな。感想をどうぞ。

http://www.kidsinbooks.net/kidsin_033.html

本の解説には次のように書かれているので、それも紹介しよう。

英治
宗田理「ぼくらの七日間戦争」の主人公。東京下町の中学校の1年2組、菊地英治。友人の相原に誘われ、大人たちへの叛乱の地「解放区」を作り、夏休み初日からクラスの男子全員で廃墟の工場に立てもこり、女子生徒とも力を合わせて大人を相手に戦い抜く。相原と共にリーダー的存在として活躍。誘拐事件や市長汚職疑惑もからむなか、ケンカの強い安永、プロレス狂天野、エレクトロニクスの天才谷本など生徒各々の個性を発揮し戦った七日間。

10月19日(木)
人間の社会生活はルールがなくては成り立たない。そのためにルールを無視した者はペナルティーをあたえることになっている。当然のことだが、それは平等でなければならない。
ここ数日話題になっている松坂の件を考えてみると、どうも納得がいかない。どこが納得いかないかというと、ライオンズの管理責任者の黒岩彰広報課長と小野賢二球団社長が解任、問題を起こした松坂本人は謹慎という処分の仕方だ。
松坂は先月13日、免許停止中に乗用車を運転し、路上に違反駐車していた。松坂投手の身代わりで警察署に出頭し「自分が駐車した」と虚偽の申告をしたのが黒岩彰だ。黒岩は犯人隠匿容疑で書類送検された。
問題は、松坂の管理者である黒岩らと、直接問題を起こした松坂本人に対して、球団が下したペナルティーの差だ。管理者が辞任なら、松坂も辞任、あるいはそれ以上、つまり一年間の出場停止処分くらいあって当然である。高校野球でこのような不祥事があったら出場停止はあたりまえなのだから。
なぜ黒岩や小野が辞任し、松坂は謹慎ですむのか。それは、黒岩らは「金にならない」が、松坂は「金になる」からである。もうけられるヤツはクビにせず、もうけにならないヤツはクビか?。
オリンピックで篠原の審判が明らかに誤っていたにもかかわらず変えることができなかった。それは審判の決定は変えられないというルールがあったからである。営利のためにルールを勝手に変更してしまうことが、いかに子どもたちの心をスポイルするか。
それにしてもスピード違反で免許停止中に、女のところに行くために無免許運転をする。そして駐車違反でレッカー移動。ルールを無視したこの一連の行為は結果を考えない想像力の欠如としかいえない。これは、たとえは悪いかもしれないが、すぐきれる少年たちと似ている。


10月17日(火)
今日でホームページを開いて一ヶ月になる。その間に3700を超えるアクセスがあったのは心強い。はじめてみるまでは、どういうことになるか見当もつかなかった。これまで日記をつけたことはなかったが、その日に思ったことを記すのは、大変だが、やってみると面白い。午後四時にM女史の展覧会を見に行った。彼女は1970年に新宿西口のスバルビル地下に壁画オブジェ「新宿の目」を制作した。見た人も多いと思う。彼女の作品からかもし出されるエロティシズムは、今も衰えを知らない。女はすごい。


10月16日(月)
起床4時30分。終日12月発売の「新ぼくら2」を執筆。今回は少年マジシャンを登場させたので、きっと読者がアッと驚くぞと思いながら書いている。こういう作品を書いているときは楽しい。作者が楽しくなければ、読者も楽しくないというのがぼくの信念だから。早く見せたいね。


10月14日(土)
『総合教育技術』11月号(小学館)に「危うい少年たちとどう向き合えばいいのか」というタイトルの特集が掲載されている。これは現代の少年たちと教師の問題。この特集にぼくも書いた。どんな教師がいま求められているのか、それと近著『13歳の黙示録』にふれて、人を殺してはならないなどを、語ったものである。この雑誌は学校の先生が読むそうだが、いま連載中の『それからのぼくら−ぼくらの悪魔教師』をぜひHPで読んでほしいと思う。そこには菊地英治を通して理想的教師像を創り出そうとしているのだから。


10月13日(金)
今日は13日の金曜日。いま日記を書いていてそうだったと気がついた。方角とか数字、日時など縁起をかつぐ人がいるが、ぼくはほとんど気にしない。行雲流水という言葉が好きだ。行く雲のごとく、流れる水のごとく、自然にさからわず生きて行く。そうすれば、苛立ちも怒りも、ストレスもなくなるはずだ。まあ、そこまでは悟れないけれど。
「それからのぼくら」に寄せられる感想を読んでいるうちに、NGがヒントになったと思われるものがあるので削除して、第5章発表時につけることにした。すでに読んだ人は幸運(?)かもしれない。ただし、予想どおりの物語にはならないぞ。


10月11日(水)
今日は一日読書。『ネモの不思議な教科書』ニコル・バシャラン&ドミニク・シモネ(角川春樹事務所)をつい読んでしまった。交通事故で記憶を失った少年が11年の人生を取り戻すために、おじさんと旅に出る。これまでの人生を一度白紙にしてもう一度やり直すという発想が面白い。こんな好奇心にあふれた少年を書いてみたくなった。


10月10日(火)
「それからのぼくら ぼくらの悪魔教師」の連載を今日からはじめることになる。第1回では、まだ物語りの全体像は見えてこないと思うけれど(わかったら大変)、生徒たちにも英治にも奇想天外なことをやらせるつもりだ。ひとみや相原、安永たちも登場することになるだろう。早速、続々と感想とアイディアを送ってもらってありがとう。第2回以降の参考にさせてもらう。一話書くたびに読者の声を聞き、それを次に反映させる試みはまだやられたことがないはずだ。いったいどんな作品になるのか作者のぼく自身にもわからない。しかし、いままでにない面白いものになることは予測できる。それを消化して、次にかかるつもり。


10月9日(月)
「新ぼくら」を執筆中。その中に地獄のことが出てくるのでちょっとだけ書くと、地獄には八大地獄がある。人を殺すと等活地獄に堕ちる。そこでは鬼に五体を切り裂かれたうえに、粉々にされる。すると風が吹いてきて元どおりになる。とまた鬼があらわれて、五体を切り裂かれ、粉々にされる。それを何度でも繰り返されて死ぬことができない。だから人を殺してはいけないのだ。


10月8日(日)
40年来の友人S君の一周忌で寺に行った。カメラマンのS君とは、フィレンツェをはじめいろいろな所に行ったので思い出すことは多い。「昨日はかえらないのだから思うのはよそう。明日はわからないのだから考えてもしかたない」


10月7日(土)
名古屋から東京へ帰る。三連休の初日だから新幹線も混んでいた。東京の家に着くと茨城県鹿島市の清真学園中学校からビデオテープが送られてきていた。「ぼくらのデスマッチ」を題材にしたもので、さっそく観たけれど、いいできで感心してしまった。みんなにも見せてあげられないのが残念。



10月6日(金)
名古屋の自宅でパソコンを打っていたら地震があった。テレビをつけてみると、震源地は鳥取だということがわかった。名古屋では、まだこの間の水害に関する報道が多い。大都会がこんなに自然災害に弱いのはショックである。あの豪雨が東京であったら、その被害は想像がつかない。名古屋でももう一度同じように雨が降れば、また同じ被害が出るそうだが、それをふせぐ方法はないというのだから、もう神頼みしかない。


10月5日(木)
ネズミを主役(主人公ではない)にした小説の構想をもう15年も抱いている。そのせいでネズミに関係した本を見つけたら買うことにしている。この間買ったまま読まなかった『カラスとネズミ』を読んだ。ドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミの三種をイエネズミという。「イエネズミは、人間社会が営なまれる限り、かならずヒトとともに生きていく」。ヒトとイエネズミをくらべたら、人間社会の本当の支配者は、イエネズミのほうかもしれないとある。本書は岩波書店から出ている。



10月4日(水)
豊橋に住んでいるT画伯にあうため、車で名古屋から豊橋に出かけた。T画伯はユニークな鬼の絵をかいている。ぼくは彼に地獄絵を描かせたくて、その説得のために訪れたのだ。彼はすぐにオーケーはしなかったが、これからの子どもたちにどうしても地獄をみせたいのだ。

▲T画伯の絵


10月2日(月)
今朝、「新ぼくら」の一章を角川書店I君にメールで送った。きょう名古屋に帰る。



10月1日(日)
「ぼくらの解放区」のメンバーでもある榎本くんから「ぼくら新聞」ができたとの知らせがあったので、早速開いてみた。なかなかいいできなので感心。これからもどんどんやってほしい。
アドレスは榎本くんの宣伝をメールコーナーに載せたので、そちらを参照してほしい。
「ぼくらの解放区」でおもい出したのだが、「ぼくらの七日間戦争」の元のタイトルは「ぼくらの解放区」だった。いろいろ検討した結果、「七日間戦争」にした。だから「ぼくらの解放区」というタイトルを見ると懐かしくなる。

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