宗田理のぼくの日記帳
 
2000年11月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。

 

11月28日(火)
午後3時に『朝日中学生ウイークリー』のNさん来宅。新春の1月1日号にのせる中学生へのメッセージを話す。Nさんとは取材で何度も会っているので話がはずむ。21世紀を迎えるにあたって、子どもたちを元気づけなければならないのに、つい悲観的になってしまう。正月早々これではまずいということになり、子どもたちを挑発する話に切り替える。
4時からこんどは『朝日学習年鑑』のKさんが来宅。こちらはぼくの10代の体験談。ぼくは小学校3年で戦争がはじまり、中学を卒業するまでつづいた。その当時大人をどう思ったかと聞かれても、いまの子どもたちのように批判することはまったくなかった。情けない話だが、幼児からマインドコントロールされていた結果なのだ。だからぼくは、子どもの小説を書き始めたときからずっと、大人を信じてはいけないといいつづけてきたのだ。


11月27日(月)
9月下旬に眼の治療をはじめて3カ月の検診に病院に行った。朝の9時半予約で11時半に終わった。この病院の赤星先生は白内障の権威なので、待合室は患者でいっぱい。すわるいすもない。隣りのおばあさんが、10時予約で終わったのが午後5時というから、ぼくの2時間で文句はいえない。治療は今日でおわった。3カ月間のいらいらからやっと解放されたのはうれしい。待合室で患者の話をきいていると、眼で苦労している人の多さにおどろく。最近はめがねの小学生も多いようだしね。

作家についての質問がメールコーナーにいろいろ寄せられている。作家志望の人たちが多いようだが、はっきり言って作家になるストレートな方法というのはないのである。たしかに宮部みゆきさんなどは小説家のスクールに通っていて、いまはベストセラー作家として活躍している。そういうやり方もあるが、では誰もが宮部さんのようにスクールに通えば、作家になれるのかというとそうではないだろう。作家にもいろいろなタイプがあり、どの方法がいいとも言えないわけで、答えはないのだ。ただ、あまりにも作家になるための方法のような質問が多いので、近い内、ぼくの体験を書いておきたいと思う。


11月26日(日)
いつもと同じく5時に起床。
軽めの朝食でパンにスープ。昼食はハタハタの塩焼き。夕食は鮭の塩焼き。すべて簡単なもの。東京や熱海の仕事場では必ず自炊しているが、それでも今日はただ焼くだけの簡単なものですませた。粗食が体にいいのだが、なんか食べた!という気がしない。そのぐらい、「新ぼくら」の校正に没頭していた。全体の構成を手直ししたりして、今この日記を書いてるが、頭がクラクラしている。みんなのメールに返事が出せないが、このような事情なので理解してほしい。できれば、メールには、みんなからの同世代の返事も寄せてあげてほしい。
月刊ソーダも遅れてしまった。11・12月合併号ということになる。


11月25日(土)
朝5時に起床。『新ぼくら』の校正を始める。一日がかりだったか、まだ終わらない。
明日までかかりそうだ。今日は校正作業だけで終わった。


11月24日(金)
名古屋から東京の仕事場へ。
相変わらず『新ぼくらの大魔術師』の校正。今回の作品はとにかく量が多くなった。通常、1ページ16行のところが17行になった。これは『ぼくらの七日間戦争』と同じ行数だ。そうしないとページ数がさらに増えて、値段を上げなければならなくなってしまう。それでも350ページ以上はいくかもしれない。まあ、読み応えはかなりあるんじゃないかと思う。今回は政治のことも書き込んでいるのだが、そもそもあの国会の騒動があったりで、さらに書き込んでしまった。
疲れをいやすのに、エンヤの新しいアルバムを聞いたりしている。


11月23日(木)
今日は、勤労感謝の日。勤労感謝の日というと思い出す。ぼくがサラリーマンをしていたころ、それは6年間ほどだったが、勤労感謝の日に休んだことは一度もなかった。そのくらい酷使されたが辞めなかったのは、世の中が不景気で、辞めると仕事が見つからなかったせいもある。それから何十年後の今日はどうかというと、12月に出す『新ぼくらの大魔術師』の校正にかかりっきりだった。今回は分量がいつもの1.5倍くらいあるうえ大阪を舞台にしたので、大阪弁の校正も大阪在住の小平さんにやってもらい、それをつけあわせて直さなくてはならない。(小平さんには『ナニワ金満高校』シリーズでも取材でお世話になった。)そのかわり読み応えはあると思う。どうも勤労感謝の日は休めない運命にあるようだ。


11月22日(水)
豊橋に行き、教育長や弁護士などと会って話をしてきた。この話は、『13歳の黙示録』をテーマにしたもの。内容は、東三河の地方紙の「東愛知新聞」に連載されるようだ。ぼくが話したのは、今はモラルがどんどん無くなってきているので、小さい内から地獄を教えることの大切さだ。昔はお寺などに行くと、地獄絵が貼ってあったものだ。だから、小学校に上がる前に地獄絵の見学ツアーなどをやったらどうかと提案した。人の命を奪うことは、地獄におちることになるんだ、ということを小さい内にすりこんでおかなければならない。今は幼児に英語教育をやらせようとしているお母さんたちがいるが、そんなことをやる前に地獄を教えるべきだ。『13歳の黙示録』を読んで、若い世代の反応が寄せられているが、皆、「救いがなくてショッキング」といったものが多い。それは、ぼくが地獄をこの作品に描き込めたからだ。中途半端な救いはない方がいい。この本を読んでくれた若い世代はそのことをわかってくれている。そのことがぼくにとっての救いではある。


11月21日(火)
名古屋の都心、栄にMana Houseというメガストアが誕生した。先日、日記で紹介した栄ブックセラーズのもう一つの名称だ。一階から五階までが書店で、60万冊の本が並んでいる。音楽館やコーヒーハウスもあって、名古屋の新名所になりつつある。名古屋にいるときは、昼になると栄まで散歩に出かけるのが習慣なので、こういうものができると楽しくなる。そこへ何度か遊びに行って、会長の堀さんと話しているうちに、7階のカルチャー教室でトークショーをやろうということになった。中・高生と若い人を中心に、現在のこと、明日のことをみんなで語り合おうというもので、学校が冬休みになる12月26日と決めた。
今日は高校生新聞主催の「全国高校生による読書感想文コンクール」の最終選考作品の短評と、最優秀作品を選んだ。ここ毎年、審査員をやっている。いつもそうだが、ここまでくると、どれも優劣はつけがたいが、決めないわけにはいかないので、大賞に外れた人には気の毒な気がする。


11月19日(日)
18日に神戸に行った。ホテルで一泊、今日の朝10時に迎えが来て、会場の神戸勤労会館にいった。この講演会の演題は「現代の罪と罰-13歳の黙示録」で、主催は兵庫県青少年本部、兵庫県、兵庫県教育委員会というものものしいところだが、別に固い話をしたわけではない。
聴衆はほとんど主婦で、ぼくはこのところずっと考えている地獄の話をした。子どもに優しく、清らかな本を読ませることが、情操豊かになるなら、最近の子どもの凶悪犯罪をどう捉えたらいいのか。美しいものも必要だけれど、人間の根元的なモラル、人を殺したら地獄に堕ちるということを教えなければならないということを話したのだが、わかってもらえた気がする。この講演会は子どもを対象にしたものではないのだが、中学生も来ていて、あとで本にサインした。このホームページのことも伝えたから、アクセスしてくれるかもしれない。


11月17日(金)
「新ぼくら」のタイトルは『新ぼくらの大魔術師』と決定。発売は、早いところでは、12月22日くらいには店頭に出るはず。最後の4ページを書き直すために、朝の4時からパソコンに向かったのだが、朝食を食べてもう一度パソコンを見たら、なんと消えていた。必死に探したがどこにもない。1ページを40字32行で打っているので、4ページはいかにも痛い。
こういうことは、だれでも経験していることだと思ってあきらめた。「ぼくらの悪魔教師」の2章も完成。
夜、角川書店編集部のGさんから「ぼくらの新聞」のゲラが送られてきた。
編集人は神藤亜子で、レイアウトも以前とは一新して、面白い新聞になった。ぜひ読んでほしい。
明日は講演のために神戸に行く。


11月15日(水)
ダメだ。原稿ができたのだが、納得できないので、悪魔教師の第2章発表は延期する。18日以降になる。期待して見に来てくれたみんな、再度ごめん。


11月14日(火)
名古屋の自宅や東京の仕事場を行ったり来たりしているが、必ず愛用のノートパソコンThinkPadを持っていく。この中に、大事な原稿がデータで入っている。パソコンを運ぶのに使っているのが写真にあるザックだ。手で持ったり、肩にかけたりするとどうしても、他の荷物を持つのに苦労してしまうからだ。ぼくは旅先などでたくさんカバンを買うのが趣味で、よく女房に怒られているが、このザックは今ではなくてはならないもの。
「新ぼくら」はあとほんの少しだが、もうほとんどできた。「それからのぼくら」にとりかかる。いまのところ、明日の夜にはできるので、HPへのアップは16日になってしまう。ちょっと遅れるが、ごめん。

愛用のザック
▲愛用のザック。PCが入っている

11月13日(月)
「新ぼくら」が予想を超えての量になりそうだ。予定のページ数をかなりオーバーしてしまった。まあ、それだけ読みごたえがあると思っている。ホームページを開いてから、みんなの声がどんどん寄せられるので、ぼくの執筆への励みになっている。きっとおもしろいものになると思う。さっそく、「新ぼくら」のタイトルがネット上でいろいろ出ているようだが、「大魔術師」ではない。角川文庫のHPがそのように書いているが、仮題で、今日、正式タイトルが決まった。えっ?何って? いやいやまだ教えられない。発行の日まで、楽しみに待っていてほしい。その「新ぼくら」、明日には最終稿を送ることができそうだ。「それからのぼくら」が15日に間に合うかどうかが、微妙になってきた。それと、「月刊ソーダ」11月号も遅れに遅れているが、今月はかなりハードスケジュールなので、「それからのぼくら」を発表後、取りかかりたい。しばらく待っていてほしい。フー…。


11月12日(日)
今日は友引。というわけで、結婚式に呼ばれて静岡の新富士にいって来た。前にこの日記でも紹介したが、かつてぼくの本の編集を担当していたMさんこと村木弘美さんの結婚式である。村木さんは「ナニワ金満高校シリーズ」などを担当してくれていた、大変仕事熱心な編集者。新婦側である村木さんのトップバッターのスピーチをぼくがやった。彼女はよく細かいところに気を配ってくれて、ぼくがこういうテーマで書きたいと相談すると、すぐにそれらに関する資料を集めてきてくれたりした。その熱心さには、なんとかして原稿を仕上げねばと思ったものだ。おそらく、その熱心さで、恋を成就させたのかもしれない。村木さん、どうかお幸せに。

村木さんとのツーショット ←村木さんとのツーショット。
  真ん中にいるのはイタズラ小僧編集者のT君


11月10日(金)
名古屋に移って7年になるが、名古屋弁を話す人との交流がないので、ほとんど覚えない。ずっと前から思っていてまだ手をつけていないのだが、信長は美濃、秀吉は尾張、家康は三河である。あの当時全国共通の標準語はなかったのだから、三人は美濃弁、尾張弁、三河弁で話していたはずである。三人が一堂に会する機会はそんなに多くはないが、長篠の戦いのときは三人が話す機会はあった。歴史ドラマでは標準語で話しているがこれはおかしい。それぞれの方言で話したらさぞかし噴き出すものになるだろう。一度書きたいと思っている。


11月9日(木)
名古屋駅前の旧山一証券ビルに新たに大型書店、栄ブックセラーズができ、3日にオープンして、延べ20万人の入場者があったという。なぜそんなことを知っているかというと、今日、そこの会長さんに会ってきたのだ。
ここの店はコンピューターソフト会社のダイテックが経営母体だそうだ。ぼくも良く知らないのだが、ダイテックは石油販売業向けPOSシステム・VANおよびカード関連の情報処理サービスなどのソフトを作っている会社だという。
パソコンソフト関連の会社だけあって、店内の書籍検索もできると、会長は快調に(汗)話してくれた。
詳しいことは、今出ているオンラインの文化通信を読んでみて。
で、そこの最上階にちょっとしたホールがあるので、ぼくが何かをやりたいと申し出ると、「ぜひに」とのこと。まだ、わからないのだが、今年の年末にちょっとしたおしゃべりとサイン会でもやろうかと思っている。日にちが決まったら、ここでお知らせしたい。名古屋近辺に住んでいる人たちにはぜひ来てほしい。今年最後のプレゼントになればと思う。

昨日の日記で、「名セリフ」を集めたらどうかと、書いたのだが、ボクプロスタッフとも相談して、「ぼくら新聞」でやってもらえたらと思う。「ぼくら新聞」は、当サイトのメールコーナーにも良く投稿してくれる榎本君たち複数のメンバーでがんばってくれている。若い彼らにぜひやってもらえたらと思ったので、投稿は「ぼくら新聞」の方にお願いしたい。けんでぃーさん、榎本君、頼んだよ。


11月8日(水)
終日、名古屋の自宅にて「新ぼくら」の最終章の執筆。
ボクラコムで「ぼくらの名セリフ」という企画をやろうと考えている。
例えば、──

◆解放区に全員で立てこもって一夜明けたとき。
そうさ、子どもはおとなのミニチュアじゃないんだ。自分たちの思いどおりになると思っていたら大まちがいだ。それを、はっきりと思い知らせてやるぜ。(『ぼくらの七日間戦争』P58より)

◆「ぼくら」の仲間と会った花井刑事の思い。
「おれも君も、子どものころはみんなああだったんだ。しかし、いつの間にか、つまんないおとなになっちまう。おとなになっても、少年の心が持っていられたらなあ」
 いまのおとなは、子どもが生来持っている理想や夢をせっせとこわして、ミニおとなをつくりあげることに狂奔している。
 これはまちがっている。なぜかと聞かれてもわからないが、まちがっているということだけはわかる。
(『ぼくらの天使ゲーム』P268)

◆殺し屋との対決を前にして、相原の言葉。
「おれたちには、未来はまだいっぱいある。大人たちなんて、もうちょっとしか残ってない。そんな連中にまかしておけるか」
(『ぼくらのC計画』P69より)

◆佐山を励ます安永の言葉。
「だれもがみんな、一つや二つ足りねえところがあるんだ。佐山と同じさ。だけど、別ないいところもあるからこれでけっこう役に立つもんさ。おれなんて、頭と金が足りねえけど、エネルギーはこんなにあるぜ」
(『ぼくらの修学旅行』P295より)

◆英治が、いじめで登校拒否をしている河辺由美子に言った言葉。
「辛いときは、自分一人で考えているとますます辛くなる。そういうときは友達に相談すりゃいいんだ」
(『ぼくらの○秘学園祭』P50より)

──なんていうものだ。どうだろう。ぜひみんなから「ぼくら」や「2A」などで、ぼくの作品を読んで「名セリフ」と言える部分を抜き出して、そのセリフのどこが良かったかも含めて書いて送ってくれないかな。送り先はメールコーナーのところから送ってほしい。
と、書いたが、さっきファンサイトの「ぼくら新聞」を見ていたら、けんでぃーさんが「ぼくら語録」というのをやっているのを知った。これもなかなかおもしろい。けんでぃーさんの解説もなかなか良く書けている。こちらにもぜひ、みんなで投稿して、盛り上げてほしいものだ。


11月6日(月)
3日、4日、5日は、ひさしぶりに熱海の仕事場に出かけた。パソコンのネット接続がうまくいかず、この間、日記や質問メールへの回答も出せずじまい。ここのよさは、相模湾の見晴らしと、温泉、そして静けさである。東京にいると、いつも音が聞こえるが、ここは話す人もいないし、何の物音もしない。朝晴れると相模湾から上る太陽が見えるが、そいう日はめったにない。ここは標高160メートルくらいだから、昼、食料品を買いに下へおりなければならない。行きはいいのだが帰りはきつい上り坂で汗が噴き出てくる。(一人で自炊している。)新聞もテレビも見ないので情報の遮断である。たまにはこういことも精神の衛生にいい。そのせいでもないだろうが、ここに来て、目の具合がとてもよくなった。ほとんど正常に近い。そういえば、『事物起源辞典』にこいうことが出ていた。眼鏡は600年前イタリーで発明された。レンズの制作者はオランダ人で、豊臣秀吉はルソンから眼鏡がとどいたとき面食らったとある。眼鏡をかけた秀吉なんて、想像するだけで楽しい。
「新ぼくら」の方も5章まで書き上げる。さあ、次は「それからのぼくら」を書かなきゃ。


11月2日(木)
いつの間にかあと二カ月で20世紀が終わってしまう。やがて20世紀に生まれた人間は次の世紀に生まれてくる人たちには、とてもついていけないと思う日がやってくるに違いない。そんなことを考えていると楽しい。
来年(21世紀)早々の「2A探偵局」でマザーグースをテーマにしたいと書いたところ、「ぼくら新聞」の諜報部を開いてみたら。マザーグースのことが詳細に載っているのに驚いた。と同時にうれしくなった。ぼくもオーピー・コレクション 復刻マザーグースの世界 オックスフォード大学ボードリアン図書館蔵を持っているが そこに「マザーグースのわらべ唄」1981年という本がある。その145ページにこんな唄がある。

10人の黒人の少年
10人の黒人の少年 食事にいった
ひとりがのどをつまらせて 9人になった

9人の黒人の少年 夜ふかしをした
ひとりが寝坊して 8人になった

8人の黒人の少年 デボンへ旅行した
ひとりがそこに残るといって 7人になった

7人の黒人の少年 まきわりをした
ひとりが自分をまっぷたつにきって 6人になった

6人の黒人の少年 ハチの巣にいたずらした
マルハナバチがひとりをさして 5人になった
 
5人の黒人の少年 法律を勉強した
ひとりが事務局入りをし 4人になった

4人の黒人の少年 海へでた
くんせいニシンがひとりを飲みこみ 3人になった

3人の黒人の少年 動物園をあるいた
大きな熊がいとりを抱きしめ ふたりになった

ふたりの黒人の少年 日光浴をした
ひとりが焼けこげて ひとりになった

ひとりの黒人の少年 ひとりで暮らしてたが
結婚したので だれもいなくなった
<監訳>平野敬一
マザーグースには、だれもいなくなったという唄がいくつもあって、それぞれ面白い。
どんなストーリーができあがるか、楽しみだ。

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