宗田理のぼくの日記帳
 
2000年12月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。
 
 

12月29日(金)
朝6時に家を出て市場に行き、正月の魚やその他のものを買いにでかけた。これは年末恒例の行事で、まだ薄暗くて、耳が痛いほど冷たいのがいい。
ことしもいろいろなことがあったが、過ぎてみると早い。少年老いやすく、学成りがたし、一寸の光陰軽んずべからず。中学生だったころ、その言葉を聞いたときはぴんとこなかった。きっとみんなもそうだと思う。いまぼくの関心は過去ではなくて未来である。これからどんな未来がやってくるか、それを考えると胸がわくわくする。
子どものころ、つらいなあと思った日々も何日もあった。まわりが真っ暗で何も見えない。このまま歩きつづけても出口はないんじゃないのか。もしそう思っている人がいたら、青春って明るいばかりではない。悩み苦しんでいるのは自分だけではないと自分に言い聞かせよう。今年つらいことがあった人は、それを捨てて21世紀に踏み出そう。そして君の生きたあかしを残そう。
『ぼくらの悪魔教師第3章』今年中に書けなくてごめん。正月には見せられると思う。
なお、31日から2001年1月2日までボクラコムの更新はお休みします。それではみなさん、よいお年を。


12月26日(火)
きょう名古屋のManaHouseでトークショーとサイン会を行った。朝は雪でその後も雨が降る悪い条件だったが、2回にわたる会にたくさんの人が集まってくれた。
タイトルは「みんなで話そう見える未来と見えない未来」である。
年の暮れになると、だれもが来年はどんな年になるか考えるものだ。21世紀は子どもたちの世紀である。それは子どもたちが自ら作らなくてはならない。そんな思いから「新・ぼくらシリーズ」を書きはじめた。いまはまだ2冊だが、ここに登場する少年たちはぼくが考える理想的少年像だ。21世紀はこんな少年たちが活躍するに違いない。これはぼくの夢でもある。そんなことを話した。
トークショーの相手は、十数年来ずっとぼくの担当である角川書店の伊達百合さんがやってくれた。おたがいに気心が知れているから、ぼくも話しやすかった。聴いている人の中には先生も何人かいたことが、話のあとの質問でわかった。中学生が少なかったのがちょっと残念だったが、まあ満足のいくものであった。


12月24日(日)
きのう新宿に出たらたいへんな人出だった。本屋に行ってジョルジュ・ミノワ著『未来の歴史』(筑摩書房 )を買った。
先史時代から人間は未来を知りたいと願い、それをコントロールすべく戦略をめぐらせてきた。古代ユダヤの予言者、デルフィの信託、黙示録、占星術、ユートピア、カバラ、透視術、SF、未来学……フランスを代表する歴史家が、太古の占術から現代の未来研究まっでを、博い知識をもとに描く壮大な歴史への旅。と見返しにあったのに惹かれて買った。
760ページを超える分厚いものなので簡単には読めないが、序に「予言、それは人間の本性である。われわれはみな現在に片足を置き、もう一方の足を未来にかけている。生きるとは絶えず先取りすることである」とある。
きょうはクリスマス・イブなので人混みの街に出るのはやめることにした。『新・ぼくらの大魔術師』が22日に並んだ書店もあるらしく、読んだという感想文をいくつも受け取った。こんなに早く感想が聞けるのはうれしい。


12月22日(金)
今日、台湾から帰国。
もうずいぶん昔になるが週刊誌の編集をやっていたことがあった。そのころの仲間MさんとYさんの三人で台湾へ出かけた。Mさんは海外に出るのははじめてなので、奥さんが心配して成田まで見送りにきた。飛行機は747のジャンボだったが満席でビジネス・クラスの席に座ってくれといわれた。こういうことは、滅多にあるものではない。はじめての海外旅行の幸先はいいと言ったのだが、Mさんはエコノミーを知らないのだから、この幸運はぴんとこなかったに違いない。もっとも帰りはエコノミーだったが。台湾では国立歴史博物館で「兵馬俑・秦文化特展」をやっていた。いまさらながら中国人の発想力の壮大さに驚かされる。日本との文化の違いがわかって面白い。街を案内してくれた江さんはもうすぐ八十歳になるというのに元気だった。謝謝。これにも驚いた。旅はこういう驚きに出会うのがたのしい。


12月19日(火)
今日も、「それからのぼくら」の執筆。半分ぐらいまで出来た。
明日から、ちょっと古い友人2人と台湾に行って来る。帰国は22日。それまでちょっと留守。
そういえば、1年前にも台湾に「ナニワ金満高校」の取材に行った。そのときは、現地に住んでいるKさんにあちこち案内してもらったのだが、クタクタに疲れてしまった。今度の旅は、ちょっとユックリ。
メールコーナーに質問が来ているが、なかなか答えられない。同世代のみんなの意見も寄せてあげてほしい。


12月18日(月)
終日、「それからのぼくら」3章の構想と執筆。今回は、15日までには発表できるかと思ったのだが、忘年会や取材やらでいろいろと追われている内に、まだ書けないでいる。20日から台湾に行くので、発表は23日以降になる予定。


12月16日(土)
第6回全国高校生読書感想文コンクールの表彰式が京王プラザホテルであった。ぼくはその審査委員長なので、優秀作六編の中から最優秀賞をえらんだ。
いつもそう思うのだけれど、この中で優劣をつけるのはむずかしい。どれを1位にしてもいいのだ。しかし選ばなければならないので、『みんないってしまう』を書いた県立奈良高等学校の鳥居彩さんを最優秀賞にした。6人の中にたった1人男子がいた。彼が取り上げた『ゼルマの詩集』、題名は『「ゼルマ」とは未来』の最後の部分はこんな具合である。

 ……
 ゼルマは詩を媒体として人間を語った。自然を語った。自分自身を語った。それをどのように私が受け取っていくべきなのか、疑問やら不安が残った。通読すべきか、精読すべきかの基準が今の私にはない。それは押入での記憶のようだ。(宗田註 小学校三年のときにしかられて押入に入れられたことを指す。ゼルマはナチの強制収容所にいれられたユダヤ人の少女)私には、ゼルマの顔が暗闇の中での蝋燭の炎のように、まるでゼルマが私たちの未来を案内役として存在している気がする。眼から見た世界は明るいのに、心から見るとその世界どこか暗い。しかし、ゼルマは決して未来は暗いものではなく、生きるべき価値があると教えてくれる。 私立鶯谷高校二年 後藤隆

夜遅く、テレビで17歳の少年が渋谷でバットを振り回して、通行人に怪我を負わせたと報じていた。同じ17歳なのにこんなにも違うのだから、ひとくくりしてはならないと思った。


12月15日(金)
今日「新・ぼくらの大魔術師」の見本ができた。もうすぐ21世紀。いったいどんな時代になるだろう。それをいちばん考えなくてはならないのは、大人ではなくて子どもである。そのためにはどうしたらいいのか?大人にまかせておいていいのか。いまの大人たちでは子どもたちにとって理想の未来はつくれない。それなら、ヤケになることはない。自分たちでそういう世界をつくればいいのだ。そんな子どもたちを、新しいシリーズでは登場させていくつもりだ。
夜、恒例になっている年二回のパーティーを自宅で開いた。若い編集者やボクプロスタッフら全部で11人が集まった。角川からは新担当者のIくんも新顔を披露。おかげでこちらは21世紀に向けてリニューアルすることができた。これは同時に年二回の定期点検でもある。


12月13日(水)
12月26日のトークショーについて、マナハウスに角川書店のDさん、Oさん、Kさんと出かけてうち合わせをする。多くの方々の参加を待っている。6時30分から朝日新聞の忘年会。9時に帰宅。明日は東京へ行く。せわしい師走。


12月9日(土)
12月6日に少年たちが2000万円を盗み、ゲーセンに行ったり、友だちにばらまいたりしているうちにつかまったというニュースをテレビで見た。少年が大金を盗み出して、それをみんなにばらまいたり、使うというのは、こんどの『新・ぼくらの大魔術師』で取り上げているので、その偶然の一致におどろいている。こういうことは、これまでにもしばしばあって、事実がフィクションを追いかけてくると書いたことがあるが、なんとも奇妙なことである。ただし、ぼくが考えたアイディアのほうが、この少年たちよりもはるかに面白いので、ほっとしている。少年たちより劣っていたのでは作家廃業である。


12月8日(金)
1941年のこの日、太平洋戦争が起きた。そのときぼくは中学一年だった。アメリカと戦争なんかして大丈夫なんだろうかという不安が子ども心にもあった。しかし真珠湾で大勝利したという報道で、これならアメリカに勝てると錯覚させられてしまった。しかしそれもつかの間、見る間に坂道を転げ落ちて行った。毎年12月8日になるとそのことを思い出す。あの当時子どもは何も知らされていなかった。いまの子どもたちには想像もつかないくらい無知であった。

午後、名古屋栄のマナハウスに行き、堀会長と12月26日のトークショーの打ち合わせをする。


12月6日(水)
きょう遂にトップページのアクセスカウンターが10000をこえた。まだ開いて2カ月になっていないのだから、これはうれしい。10000を踏んだのは岡山の女性。年賀状送るからね。
夜ホテル・ニューオータニのBLUE SKYで会食した。イランの留学生アレズさんと久しぶりで会った。はじめはカゼ気味で元気がなかったが、だんだんテンションが上がってきた。このあいだ来日したイラン大統領を東工大に連れた来た武勇談が面白かった。彼女はただ者ではない。将来はイランの大臣になるかもしれないという気がする。、
全部で8人だったが、(女性が5人)楽しい夜であった。10時過ぎ外に出ると12月の寒さだった。半袖のGさん、カゼを引かなかったろうか?


12月5日(火)
まもなくトップページのカウンターが10000件になろうとしている。そうだ、記念に、ゲットした人にぼくの直筆年賀状をお送りしよう。ゲットした人はメールコーナーから氏名、年齢、住所を書いて送ってほしい。

午後5時からパレスホテルでBunBun大賞の最終選考会があった。それを終えて角川書店のSさん、Dさんと雑談しているうちに、こんなふうに話が進んでしまった。
ぼくの9歳のときに戦争がはじまり、17歳のときに戦争がおわった。つまりぼくの少年時代は戦争と重なっている。読者からぼくの少年時代はどうだったとよく聞かれる。その当時は戦時中だったから、モノもなく、人もよく死んだけれど、子どもたちは明るくのびやかでハツラツとしていた。戦争だからといって暗くはなかった。そんな子どもたちを書いてみようかということになった。それを読めば、子どもって、もともとはこうなんだってことが今の子どもたちにもわかるかもしれない。そう考えると急に書きたくなった。よし、来年はこれも書いてみよう。書きたいことばかりふえて困ったことになりそうだ。


12月3日(日)
きのうから熱海にいる。パソコンをやるまでは、シドニー、バンクーバー、ハワイなどに出かけて、執筆した。『ぼくらの魔女戦記』を書くためにフィレンツェに一カ月も滞在したこともあった。しかし今はほとんど東京が多い。まだパソコンが未熟なので、おかしくなったときに困るからである。2、3日は熱海にパソコンは持ってこなかった。今回は資料整理が目的だったからだ。今月に出版される『新・ぼくらの大魔術師』にマルドリュス版の『千一夜物語』全8巻(筑摩書店)を参考文献として使ったのだが、現在は文庫本で12巻である。旧版は古書市場では1冊1万円だと、角川書店のGさんが教えてくれた。そういえば、このあいだ英文のアラビアンナイト(バートン版)を丸善の古書市で見た。たしか12巻だったと思うが、38万円していた。これを高いと見るか安いとみるか。う〜ん。


12月1日(金)
「新・ぼくらの大魔術師」の再校の校正のために角川書店に行く。そのあと「2A探偵局」(3月刊行予定)の企画会議。帰宅してから「ぼくらの悪魔教師」3章の執筆。今度は15日までに出せそう。
「月刊ソーダ」、ずいぶん遅くなったが、ようやくアップした。作家志望のみんなへ贈るぼくのささやかな体験を書いた。

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