宗田理のぼくの日記帳
 
2001年1月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。
 
 

1月30日(火)
64年前のきょう、父親が死んだ。ぼくは8歳だった。その日は重く雲がたれこめてやけに寒い日だったことを覚えている。母親は1966年の1月29日に死んだ。二人の命日は一日違いなのだ。菩提寺は下高井戸にある。ぼくの仕事場から500メートルほどの距離だ。墓地は数日前の雪が残っていて、それが墓参りにはいいムードだった。
最近、父親のことがよく話題になる。父親は子どもに自分の背中を見せろとか…。しかし父親を小さいときに亡くしたぼくは、父親の背中を見た覚えがないのだ。ぼくはだから、父親との葛藤もなければ、懐かしさもない。自分が父親になったとき、ぼくにはモデルがなかった。だから自分のイメージの中で、理想的父親を創り上げた。しかし心の片隅では「親がなくても子は育つ」という言葉がきこえている。父親って何だろう?

父と母と
▲父と母とぼく


1月29日(月)
最新作の「2A探偵局」の原稿に追われている。5日までに2章と3章をあげないといけない。今度はマザーグースをモチーフにしたミステリーだ。ほとんど仕事場にこもっていたが、ちょっと外に出ると、かわいい雪だるまがいた。子どもがつくったのだろう。少しうれしくなった。戻ってきて、みんなのメールに返事を書く。
「2A」と平行して、次はぼくの少年時代をもとに物語を作るため、戦争の記録や資料を集めている。出征兵士の記録などがけっこう集まった。ところで、ぼくが経験した第2次世界大戦を若い読者は知っているだろうか? 最近聞いた話では、第2次世界大戦というと「アメリカと日本が組んでソ連と戦争した」と思っている子もいるという。歴史がどんどん遠くなっているのだろうか?

雪だるま
▲軒先で見つけた雪だるま


1月27日(土)
朝窓の外を見ると雪。昼になっても降り止まず、かなり積もりはじめている。
雪国で暮らしたことがないので、雪を見ると心がはずんでくる。ちょうど数日前に買った雪用のブーツがあるので、履き初めということで外に出た。新雪を踏みしめる感触がいい。近くに小公園があって、いつもだと子どもたちを遊ばせている母親の姿が見られるのだが、きょうは一人もいない。最近の子どもは雪をみても、遊びたいとは思わないのだろうか。子どもって、泣きたくなるほど手が冷たくなっても、雪の中をころげまわったものだ。いまは冷たいからいやだと子どもが言うのか。それとも、母親がやめさせるのか。
どちらにしても、雪を見て感動もしないで、家のなかでゲームでもやっているとしたら、なんだか情けなくなる。こんな子どもたちで、未来はひらけるのか?

人気人物投票をはじめて、おもしろいと思ったのは各人物へのみんなからのコメント。自分が生み出したキャラクターがこんな風に思われているのか、というのを読めるのは作者としてもうれしいかぎりだ。

メールコーナーのレイアウトを少し変えた。過去のメールを読みやすく出来るようにした。以前より、見やすくなっただろうか。


1月24日(水)
読者からの要望で、「ぼくら」の登場人物の人気投票のページを作った。何人にでも投票できるので、どんどん投票してほしい。また、投票してくれた人物にそれぞれの思いを書くようになっているので、みんながどうしてその人物が好きなのか、ぜひ教えてほしい。すでに、「谷本をもっと出してほしい」という声もあるなあ。考えなければ…。


1月22日(月)
外を見ると、もうだいぶ雪がとけている。
今月号の月刊ソーダに「パワーを全開にしよう」ということを書いた。最近、読者のメールを見ても正直、パワーを感じなくなってきているからだ。
たまたま見ていた新聞に「ズッコケ三人組」で知られる那須正幹さんのインタビューが出ていた。それを読んで、ぼくと同じように感じている部分があった。
那須さんは執筆を始めた頃は、「自分たちも三人組みたいな探検をやった」といった手紙が多かったが、90年代に入ると「三人組は私たちの出来ないことをやってくれるので楽しい」という一種の“代理体験”的な読み方がされ始めたというのだ。
ぼくの場合も、最近のメールや読者からの手紙は、那須さんの読者の反応とよく似ている。
以前は、「ぼくらのようなイタズラを仲間たちとやりました!」という手紙が多かったが、最近は「ぼくらのような仲間がほしい。だけどまわりにはいない」という内容のものが増えてきた。みんな、人間関係に疲れているのだろうか? あるいは誰かが何かをしてくれるのを待っているのだろうか。あまりにも情報が多すぎて何もできなくなっているのか。自分から、どんどん何かを始めようというパワーあふれた若者たちが出てきてもいいのだが…。
思えば、ぼくの少年時代の方が、子どもとしてのパワーがあったような気がする。そのことを昨年、角川書店のDさんたちと話していて、ぼくの少年時代をモチーフにした小説を書いてみたいと思った。


1月21日(日)
昨日の夜、名古屋の家から電話があって、かなり雪が降っているということだった。東京はそうでもないと窓をあけると雪だった。三十数年前、練馬に住んでいたころは大雪があった。しかし最近はほとんど雪が積もらなくなった。いまは3月に出す「2年A組探偵局」を書いている。いろいろ雑用があって締めきりをオーバーしているので、頭はそのことでいっぱいである。(こうならないと進まないのは困ったものだ)
去年の今頃、アーサー王とマザーグースの取材のために英国に行った。そのときセント・アイヴスへ行き、岡の上のホテルに泊まったのだが、風が強く、雪まじりの雨がホテルの窓に吹き付けて、そのうえ暖房も効かないのでたいへんな旅だったことを思い出した。とにかく80室もあるそのホテルはぼくら以外宿泊客がいなかったのだ。それにくらべたら、東京の雪はおだやかなものだ。今日はすばらしい青空だ。


1月19日(金)
相変わらず寒い日が続いている。明日はセンター試験があるが、雪の予報。試験を受ける人たちは体に気を付けてがんばってほしい。
東京新聞を見ていたら、慶応大学の金子勝教授のコラムがおもしろかった。小さい頃から親や学校で聞かされてきた童話でイソップ物語の「アリとキリギリス」がある。夏場にアリは懸命に働き、キリギリスは歌だけ歌っていたので、冬になって怠けていたキリギリスは死んでしまう、という話だ。これは勤労精神を植え付けるのに最適の話だ。金子教授によれば「『一生懸命働かないと食べてゆけない』という人生訓と重なる。とくに戦後の食糧難から高度成長期にかけて、この『勤労の美徳』という教訓にはリアリティがあった」と述べている。
ところが、バブル崩壊後は「蟻は働く気がありましたが、働ける場所がなくて自殺しました。蟻の食べ物を当てにしていたキリギリスも、一緒に死んでしまいましたとさ」という結末になったというのである。
また、「三匹の子豚」を引き合いに出している話もおもしろい。
1番上の豚は3時間でワラの家をつくり、2番目の豚は3日間で木の家をたて、3番目の豚は3週間かけてレンガの家をたてる。オオカミがやってきて、ワラの家を吹き飛ばし、木の家も壊されて、3番目のレンガの家に逃げ込んで助かる、という話で、これも勤労の美徳を表しているというのだ。
しかし、金子教授によれば、この民話の舞台は季候が悪くて治安の悪い国なのではないか、というのだ。南洋の国なら、レンガの家なんてとても熱くて住めたもんじゃない。ワラの家をつくった1番上の豚がもっとも賢いのでは、と述べて、それぞれの国にはそれぞれの働き方がある、というのが金子教授の結論だ。
ぼくの少年時代は、「国のために死ぬこと」だけを教わった。だからぼくは、どうやって敵の戦車の下にもぐり込むかとか、かっこよく死ぬことばかりを考えていた。今はそうではない。
人間はみんな一人ひとり違うのだから、同じように生きなくていいし、学校に行けない人には行かない生き方もあっていいだろう。またどうやったら学校をおもしろくしていけるかを仲間をつくって実行していく生き方もあるだろう。これまでは、立派な学校を出れば幸せになれるという考えがあったが、もうそうではない時代に来ている。
活字の世界も少しずつ変わりつつある。ぼくもこのホームページで小説のダウンロード販売を始めた。まだ5作品だけだが、じょじょに増やしていきたい。1作200円という価格にした。かなり安いと思う。これは現在古書店に出回っている金額も考慮してこの値段にした。郵便の振替手数料はぼくが負担する。すでに注文が来ている。注文していただいた方に感謝。いつまでも紙でなければ本ではない、という時代も変わり始めている。
昨日の日記で書いたMくんこと松本創くんのホームページ「かむながら」を紹介しておこう。
http://www.m78.to/users/komorebi/


1月18日(木)
このホームページをはじめてから、ぼくに「会いたい」というメールがけっこう来る。なかなか忙しく、時間がとれないので、お断りしてしまうことが多いが、M君がいろいろ話したいことがあると言うので会うことにした。Mくんがホームページをもっていて、その活動にも少し興味があったからでもある。
最初のメールは去年だからやっとという感じだ。昨日が約束の日だったが、もっと前に「イランの夕べ」のほうがあったのを忘れていたので、M君のほうは今夜にしてもらった。手違いで昨日待たせてしまって、申し訳ないことをしてしまった。6時半から京王プラザで会った。ボクラプロジェクトのNさん、角川書店のDさんも同席した。
偶然だが今日はM君の18歳の誕生日であった。M君は中学1年で学校はやめてしまい、いろいろと活動している。その実態は、いつかM君のホームページにリンクするからそこで見てもらいたい。山田洋次監督の「学校」最新作の原案もつくったそうだ。
大人が3人もいたが、彼はよくしゃべった。彼の言いたいことはまだよく伝わらないが、しかし、これは当然であって、果敢に挑戦する姿を見るのはすてきである。こういう若者が各地で芽を出し始めたとき、新しい時代は開けて来るという予感がした。今夜は楽しかった。ネバーギブアップM君。


1月17日(水)
北陸地方は大雪。ボクプロスタッフに新潟在住のウッドマウスさんがいる。聞くところによると、150センチ以上の豪雪だそうだ。去年の秋頃は、気象庁は「今年の冬は暖冬」と言っていたが、新潟では「カマキリが高いところに卵を生んでいるので、きっと大雪になるにちがいない」と噂していたという。それを聞いて、カマキリはエライ、と思わずうなってしまった。自然界にはいろいろ不思議なこともあるものだ。
よる6時半に「イランを語る夕べ」に出かけた。場所は富国生命ビルの東京會舘。イランに関係する商社マン、ジャーナリスト、大学教授など十数名が集まった。もちろんアレズさんもいた。最近のイラン事情など聞くことができて、この春から書く予定の小説にはたいへん参考になった。3月の終わりか、4月にはイランに行くつもりだ。
今度の物語は国際ジャーナリストになった相原が、パーレビの遺産をめぐる国際的な事件と取り組む。いってみれば国際冒険小説といったらいいか。角川書店から出す予定。ぼくが最初に書いた作品『未知海域』の系譜である。


1月16日(火)
昨日、京都に行き大覚寺にでかけた。大沢の池は干上がっているし、観光客は一人もいなかった。500円の観覧料(拝観料)で寺の建物に上がることができるのだが、ここには敬虔な宗教的な雰囲気はない。京都には寺の数は多いが、ほとんどが観光化されてしまっている。歩いてみて、いくらかは心の癒しになるかもしれないが、人を救うということとはほど遠い。 嵯峨野の竹林を歩いた。観光客にも出会わず、冷え冷えとした冬の空気がよかった。京都はもっと寒いと覚悟してきたのだが、意外に寒さはきびしくなかったので、つい何時間も歩いてしまった。 朝、祇園の細い路地を歩いた。ここもほとんど人通りはない。ところどころ打ち水してあると、凍って滑る。冬の京都もいいものだ。


1月14日(日)
このまえの日記で成人式についての意見を求めたところ、何人もの人からいろいろな意見が寄せられて面白かった。これは若い人たちが考える問題なのだ。15、16日は京都へ取材に行く。
きょう名作シリーズをやっと公開することができた。『ぼくの泥棒日記』はぼくの好きな小説だから、まだ読んでいない人はぜひ読んでほしい。きっと楽しめるはずである。夕方になったら、急に冷え込んできた。


1月10日(水)
今年になってから、3月に出す「2A探偵局」を書いている。今度のものはマザーグースのからんだメールの殺人事件である。面白いものにしたい。
それと「それからのぼくら」に相原を出してほしいという要望が多い。相原については、企画を持っている。いまは資料収集など準備中。発表は「悪魔教師」の次。どういう内容かは言えないけれど、ヒントは相原がアメリカの通信社の特派員として世界中を飛び回っているということ。長いものになりそうなので体力を蓄えなくてはと自分にいいきかせている。


1月8日(月)
熱海の仕事場に行き、資料を持参して、東京の仕事場へ。
今日は成人式。日本の各地で新成人たちが騒いで、市長や知事がキレた状景をテレビで報道していた。ケータイはやりほうだい。酒を飲んで騒ぐ。これは式なんてものじゃない。
ぼくも十年くらい前に成人式で話したことがあったが、そのときは、聴いていたかどうかはわからないが、騒ぐ連中はいなかった。もっとも、そのときはケータイはなかったが。
同じ年齢の者たちが久しぶりに会うのだから、はしゃぎたくなるのはわかる気がする。大体自治体がお祝いの式をやること自体、時代錯誤になっているのではないか。若者たちは成人になったという自覚も喜びもないのだから。祝いたければ自分たちでやればいいのだ。こういうことに、お上が出てはいけないのだ。大人たちは若者に怒るより、時代の変化を再認識したほうがいい。
成人式のあり方で、みんなの意見をぜひ聞きたい。


1月6日(土)
正月の三日間は、どこにも行かず、名古屋の家で過ごす。
去年もそうだったが、今年も外には出ずに、パソコンに向かっていた。かなり遅れたけれど「悪魔教師」の三章をやっとうちおわった。
四日の朝四時に面白いアイディアが閃いたので、Dさんにメールした。新年早々のアイディアだ。自分としては満足した。 これなら今年もいけそうだと思ったが、翌五日になって、修正したものを送り直した。五日、今度はべつの企画を思いついた。これはもうすこし練らないと、メールでは打てない。アイディアというのは玉石混交でも浮かぶことはいい傾向と思っている。
三章のタイトルは「おまえの部屋はもうない」


1月1日(月)
昨日までは世紀末といっていたが、今日からは21世紀。
20世紀は自分のことを考えても、いろいろなことがあった。
日中戦争が起こったのが9歳のとき、それから17歳までずっと戦争がつづいた。つまりぼくの少年時代は戦争と重なっていたわけだ。
年末にテレビで20世紀特集をやっていたが、あのときもし原爆が広島、長崎に落ちなかったら、戦争はもっとつづいていたに違いない。するとぼくはアメリカ軍の戦車に飛び込んで、17歳で一生を終わっていたかもしれない。
20世紀も激動の世紀だったが、21世紀も予測できないことが起きるにちがいない。ITは社会をどう変えていくのだろう。環境はますます悪くなり、思いもよらない病気があらわれるかもしれない。情報ウイルスもその一つだ。同時に遺伝子を操作したとんでもない人間があらわれるかもしれない。22世紀に地球はどうなっているのだろう?
かつて大航海時代に未知の海に乗りだした船乗りのようにとにかく乗り出すことだ。「航海することだ。生きることではない」

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