宗田理のぼくの日記帳
 
2001年6月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。
 
 
6月29日(金)
午後1時から月刊進学情報誌『さぴあ』のインタビューがあった。質問の内容は子育てをするうえで、もっとも大切なこと、しなければならないことなどだったが、ぼく自身はそれほど子育てに気をつかったことはなかった。そうだ、言うのを忘れていたが一つ思い出した。子どもが小さかった頃、かぜをひいても医者につれて行ったことがなかった。その当時はかぜだとすぐ抗生物質を注射する。それがいやだったからである。それと炭酸飲料は飲ませなかった。それくらいかなあ。ぼくは、母親はただひたすら子どもを愛しさえすればいいと思っている。口がさけても、「おまえのためにしている」とは言わないほうがいい。押しつけは子どもにとって迷惑だ。
夜銀座で朝日学生新聞の4人の女性記者とおしゃべりをした。『朝日中学生ウイークリー』の読者の中学生と「平和」について話しあう会をするための、打ち合わせをかねてというところか。
ぼくみたいに、戦争の中で少年時代を送った者にとっては、いまの子どもたちが平和をどう思っているか興味がある。会は7月23日だが、その日を楽しみにしている。
今日一日たまらない湿度だった。



6月26日(火)
『新ぼくらのサムライ魂』の再校を渡した。これでぼくの手は離れたことになる。
まもなく告知するけれど、この本の出版を記念して、サイン入りで当サイトで販売する。詳細は後日するが、送金方法は郵便振替とBitCashを準備中である。これまでに、「新刊が書店で手に入らない」という声もしばしば聞いていたので、ならばここで買ってもらえたらいいのではと思った次第。
角川書店のDさん、I君と次の「2A」の企画会議。このところ『ベロニカは死ぬことにした』を読んでいる。作者のパウロ・コエーリョはブラジル生まれだが、この作者のものが好きで「アルケミスト」「星の巡礼」「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」(いずれも角川文庫)を読んだ。「アルケミスト」は宝さがしに出かけたはずの旅がいつの間にか自己探求の旅にかわっていく。この本は世界的なベストセラーになったのだが、日本ではさほどではない。精神病院のベッドで目を醒ましたベロニカは精神世界を漂流する女である。派手なストリーの展開を求めるのは無理だが、なんでもあるけど、なんにもない。退屈な人生にうんざりしている人は読んでみる価値がある。何かが得られると思う。
『悪魔教師』であるが、5章はすでに書き終えている。では、なぜ公開しないのかというと、実は予定より大幅に原稿の量が増えている。それで6章を執筆中。
そのため、5章と6章を同時公開として発表したい。そのため、6月公開予定だったが、7月にずれ込んでしまう。待っているみんなには申し訳ないが、もう少し待っていてほしい。



6月22日(金)
「おれは宅間だ、殺すぞ」と小学生を脅かして、恐喝の罪で逮捕された男がいると報じていた。
本人はただのじょうだんと思ってやったのだろうが、こんなう常識はずれの人間が多くなっている。飛行機のなかでおもちゃのピストルでびっくりさせようとしたらただではすまない。こういう行為はいたずらではない。ニュースで自動車のタイヤをパンクさせたり、学校に火をつけたりすると、「悪質ないたずら」と報道するが、これはいたずらではなくて、れっきとした犯罪行為である。
いたずらにはユーモアがなくてはならない。たとえ笑っても、みんなに不愉快な思いをあたえるのはいたずらとはいえない。
大体いたずらを仕掛ける相手は強者でなくてはならない。いばって、かっこうつけているやつに無様な思いをさせるくらい楽しいことはない。これがいたずらの極意である。弱者に仕掛けたらいじめになる。自分ではいたずらのつもりでやっているのに、相手からはいじめと受け取られるケースはかなりある。それでいつまでも恨まれたら、いじめたほうも後味がわるい。
ついやってしまってあとで後悔する。ぼくにもそういう経験があるが、今でも思い出すと後悔する。



6月15日(金)
「DRUG」午後1時15分から名古屋市青少年文化センターで、麻薬覚せい剤乱用防止キャンペーン映画「DRUG」(ドラッグ)の上映会とトークセッションがあったので出席した。菅原監督のほかに主演の徳山秀典さんと黒須麻耶さんも来て、いろいろ話し合った。なぜ薬物を乱用するのか、その誘い文句にはこんなものがあるそうだ。
・「一度だけなら大丈夫」
・「やめようと思えばいつでもやめられる」
・「ダイエットに効く」
・「肌がきれいになる」
・「いらいらがとれてスッキリする」
・「お金はこの次でいい」
・「やってるんは君だけじゃない」
・「最高の気分が味わえるよ」
・「とりあえず預かってよ」
人間にはだれも不安がある。その不安から逃れるためにクスリに手をだす。酒も麻薬の一つだがやめようとはしない。その大人が覚せい剤やコカインはダメ、ゼッタイと言っても説得力はない。そのことよりもクスリを売って子どもを廃人にする大人を根絶しなければならない。これは殺人と変わらないのだと認識すべきだ。
●「DRUG」紹介ページ



6月11日(月)
大阪教育大付属池田小学校での学校乱入殺傷事件について、ボクラコムにメールが寄せられている。それだけこの事件が衝撃的だったということである。
この事件の犯人は、「自分を死刑にしてほしい」とか、「自分は精神病だ」と主張したり、自分名義の医師免許証を「偽造」して関西の大学病院の精神科神経科医師の肩書で名刺も作製し、医師になりすまして「いつでも薬をあげる」などと女性に声をかけていたことも判明した。いったい、正気なのか、狂気なのか。
一方で、小泉首相は犯罪を起こした精神障害者の責任を問わない現行刑法改正などの検討に着手する方針を表明している。
ぼくのホームページにこの事件に関してメールが多く寄せられているのも、この事件で不安感が膨らんでいるからだろう。自分の学校にも、こんな犯人が来るのではないかと。
この犯人の犯行は憎んでも憎みきれない。だから、「死刑にせよ」という声もあがる。しかし、「死刑にしてほしい」という犯人を死刑にすれば、犯人の望みをかなえてやったということにもなり、被害者遺族はそれで救われるのか、という思いもある。また死刑にしたところで、死刑を望むような犯人がいる限り少しの犯罪抑止効果もない。むずかしい。
期せずして、オクラホマシティー連邦ビル爆破事件のティモシー・マクベイ死刑囚(33)が、被害者遺族の前で死刑を執行された。アメリカでも、死刑賛成派と反対派が徹夜で集会を開いたという。マクベイは薬物注射を受けた後、息が荒くなり、目を開けたまま絶命した。処刑の様子を見た遺族の一人は「処刑立ち会いで得たものは少なかった」と語っている。処刑が良かったのか、悪かったのか。遺族にとって、救われたのか、むなしさだけが残ったのか、それはわからない。
法律を厳しくしたら何でも解決するわけではない。かりに、精神障害者への偏見が助長されるかもしれない。今の時代、鬱病で悩み、精神科に通う人もいる。そういう人たちまで、病院に行ったということで後ろ指刺される風潮も出て来かねない。「危ない精神障害者はすべて隔離しろ」となると、またもやハンセン病患者を長年隔離した二の舞になりかねない。
かといって、宅間容疑者を治療すれば、治癒するのかというと、それも疑わしい。
ぼくは、今、少年犯罪をモチーフにした小説を考えているのだが、罪を犯したものは、一生をかけて償わない限り、誰も救われないというテーマで構想を練っている。しかし、宅間容疑者にはそんなものは少しも感じられない。



6月10日(日)
最近起こる不可解な殺人事件について、みんなが不安に思うのは当然である。その最大のものは、人を殺す動機がわからないからである。快楽殺人というのとも少し違う。こういう犯人は外から見ると正常に見えるから始末が悪い。足を踏みつけられたからとか、子どもが泣くからといった理由でキレて殺すというのもわからない。人間の脳は明らかに暴走をはじめたのではないか。
有名なノストラダムスの予言の書「諸世紀」十巻七四篇ににこうある。
時代の車輪が七番目の千年に達したとき、
死の戯れがはじまるだろう
七番目の千年というのは21世紀のことである。



6月8日(金)
車で熱海へ出かけた。東名の厚木インターから熱海までは一時間半で着いてしまった。途中、山越えをしたので、霧に何度も遭遇し、そのたびにまわりは何も見えなくなった。車の数が少なくて、不安感はなく、幻想的な思いに浸ることができたのは幸いであった。
そのころ大阪で児童虐殺の事件が起きていたのだが、ラジオもテレビも見なかったので、知ったのは東京に戻った、午後6時ごろであった。
『ぼくらのグリム・ファイル探検』の「あとがき」にこういうことを書いた。要約すると、男性支配の現代文明は、大地と深く結びついた、共生ともいえる、生き生きとした感情の流れを閉ざしてしまった。その結果はどうなったかというと、戦争、環境破壊、病気などによって、西欧文明は破滅の寸前にまできてしまった。最近頻発する不可解な事件はまさにその予兆だといっていい。それを救えるのはかつて抹殺した魔女をもう一度復活させるしかないというのがこの物語のモチーフだが、今度の事件を見ると、ぼくの予感は当たっているという気がしてきた。
今日見た緑の美しさと霧の中を走った余韻がすっかり消えてしまったのが残念。
★<小学校殺傷>刃物持った男が乱入、児童8人死亡、15人重軽傷
8日毎日新聞より
8日午前10時10分ごろ、大阪府池田市、大阪教育大付属池田小に、刃物を持った男が乱入し、教室や廊下で児童らを次々刺した。1、2年生の児童8人が死亡、教師2人を含む15人が重軽傷を負った。男は殺人未遂容疑などの現行犯で逮捕された。


6月4日(月)
終日、『悪魔教師』の執筆。
★虐待HP、実名掲載で論議
6月4日読売新聞より
児童虐待事件の加害者を実名で掲載するホームページ(HP)が、インターネット上に登場。作成者は「子供たちを虐げる人間を許してはいけない」と主張するが、専門家の間には「被害児童のためにならない」「抑止効果はあっても人権上問題がある」と指摘する声もある。 このHPは「児童虐待事件 逮捕者リスト」で、米国のサーバー上に日本語で開設された。1997年以降、日本で起きた約90事件について、摘発や裁判を報じた新聞記事を、当事者の名前と住所をそのままにして転載。作成者は不明とのこと。
ここ最近、児童虐待のニュースが多い。昔から虐待に近いことはあったようでもあるが、とくに頻繁に事件としてニュースで取り上げられるようになった。この逮捕者リストを実際に見てみた。新聞記事の電子スクラップのようでもある。
作成者は次のように書いている。
「新聞で報道された実名、年齢、逮捕時の居住区、逮捕容疑をリストしました。彼らとは、あなたがこれから知り合う可能性があります。子供を虐待できる人間は、それが悪いことだと認識できない人間です。衝動を抑えることができない人間です。少し反省したり、数年服役したところで、人間の本質は変わるものではない。あなたの子供を、彼らに近づけないことでしか、自分の子供は守れません」
そのほかに「性犯罪逮捕者リスト」や「ストーカー事件逮捕者リスト」もある。
「このような犯罪を犯すと、こうなるぞ」という見せしめのようでもある。被害者が守られない法的不備をついて、ネット時代になると、こうした〈復讐〉がもっと起きるような気がする。


6月3日(日)
「非公開でおねがいします」という書き出しのメールをもらった。
内容は深刻だ。
女の子からのメールで、かつて彼女の通っていた小学校の先生がわいせつ行為をして逮捕されたという。すでに、彼女は中学生になっているのだが、小学4年の時にその先生に世話になったという。彼女は先生の逮捕を知って、ショックを受けた。テレビのニュースや新聞に先生の名前が確かに出ていたという。
「私はとてもではないけれど、信じようとしませんでした」と書いている。
そして次のようにも記している。
「卒業式も終わった後の3月のことで、ついこの間さよならをした先生が、まさか……と朝は食事は進みませんでした。その先生の卒業文集の題は、こういう題でした。『「らしさ」を大切に』という題で、読み直し、悲しくなりました。自分らしさを無くしたのは、先生ではないか。あんなにいろいろなことを教えてくれた、一番自分らしい先生ではないか。『「君らしさ」を見失うことのない生き方、そして、自分以外の人のらしさを認めることのできる大きな人になってほしいのです。』といったのは、先生ではないか…」
彼女がその先生の被害に遭ったわけではない。しかし、心から信じていた教師がわいせつ行為をして逮捕されたことが、彼女にとってはショックであり、心の傷として残ってしまったのかもしれない。
教師が聖職だなんて、言うつもりはない。教師も人間である。しかし、教師が罪を犯したとき、子どもたちは大変なショックを受けることを知ってもらいたい。周りの大人たちもしっかりとそのことを認識してほしいものだ。

「ぼくら新聞」の榎本くんからメールをもらう。第7号ができたという。みんなにもぜひ見てほしい。
ぼくら新聞
★8歳二女を木につるし死なす=仏壇の菓子食べ立腹、父親を逮捕−島根
6月3日時事通信より
8歳の二女を自宅庭の木につるし、放置して死なせたとして、中谷稔容疑者(55)を逮捕。中谷容疑者は小3の幸子ちゃんが仏壇に供えたどらやきを無断で食べたことに立腹。ロープでぐるぐる巻きにし、庭の木に宙づりのまま放置して死亡させた。幸子ちゃんは脱水症状だった。
仏壇の供え物を食べたぐらいで、木に宙づりにするな。お尻でもたたいて、「ダメじゃないか、仏様の罰が当たるぞ」とでも言って、怖い話でもしてやればいい。虐待バスターズというのはできないか。よし、次の小説で考えてみよう。

↑このページのTOPへ


All copyright 2000 Souda Osamu & bokura Project. All Rights Reserved.