宗田理のぼくの日記帳
2002年2月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。
 
2月21日(木)
ぼくの少年時代をモチーフにした作品の取材をすすめている。これまでにも、三河の資料などを集めていたが、今日は三河出身の方の取材をした。その方がぼくの家に訪ねてきてくれたのだ。この人は、以前この日記でも紹介した横浜でラーメン屋をやっているおじさん。貴重な話を聞くことができた。



2月14日(木)
このサイトで公開している書き下ろし小説の第2弾『ぼくらの特命教師』は、17日に公開する予定。毎月1章ずつ公開する。6章構成になる予定。『ぼくらの悪魔教師』ともども、ぜひ読んだ感想を聞かせてほしい。

厚木市の「小・中学校PTA活動研究大会」の講師として講演した。今回の研究主題は「21世紀を創造する子どもの育成を目指して」というものだが、ぼくは高齢化社会にあたってどんな子育てをしたらいいか話した。
これはぼくの予感なのだが、日本も高齢化が急速に進むにつれて、高齢者の圧力団体ができるのではないかと思う。いわゆる「族議員」もたくさん抱え込む。こうして圧力をかけて年金の減少などをはかる。
アメリカではすでに「アメリカ退職者協会」があり、これは3300万人の会員をかかえている。このほかにも「全国高齢市民協会」「ファミリーズUSA」などがあるし、オランダではずばり「年金党」もある。日本でも老人たちが身をまもるために、このような組織をつくるのは目に見えている。
こうして高齢者は守られるかもしれないが、その分働く若者たちは、ひどい目に遭うことになる。つまり重税に押しつぶされるのだが、彼らは選挙に関心がないので、若者を代表する議員もいない。これでは勝負にならない。そのあげくどうなるか。
現在の最貧国と先進国との争い。いわゆる南北問題が、高齢者と若者に生じる。「世代間戦争」である。まともに戦っても勝てない彼らの選ぶ道はテロである。さしづめ老人ホームなどは真っ先にやられるだろう。そうなってはもともこもない。
ではそうならないためにはどな子育てをしたらいいか。聴衆には若いお母さんたちがたくさんいたが、どう考えただろう。



2月8日(金)
Wさん夫妻の送別会を新宿で開いた。全部で12人。WさんというよりはMさんのほうがみんなにもぴったりくるが、今度勤め先のM書房を辞めてアメリカのシアトルに行くのだそうだ。シアトルは、野球のイチローがいるマリナーズの本拠地で知っている人もいるだろう。M書房で耐えられればどこへ行っても大丈夫といううわさがあるそうだが、彼女は見事に音をあげなかった。これならアメリカくらい、なんてことないとみんなで笑った。
吉田松陰は松下村塾を出て行く生徒に送序を送った。入江杉蔵には、「杉蔵往け」という書き出しで激励した。それにならえば、「弘美往け。太平洋を越えて…」というところだが、T君が言っていた「最後の秋田美人」はなんとかやるにちがいない。しかし、さびしくなった。



2月5日(火)
2月になって戦時中の子どものことを書いている。物もなく、戦渦は刻々と迫ってくる中で、それでも子どもたちは生き生きとしていた。今の子どもたちのようにうつろな目はしていなかった、もともと子どもはこうだった、ということを今の子どもたちに知ってもらいたいと思って書いている。
舞台は愛知県の三河で昭和18年から20年にかけての話なのだが、18年は三河の半田で生まれた新美南吉が死んだ年である。新美南吉は19歳で『ごん狐』を「赤い鳥」に発表した童話作家だが、有名になったのは戦後で当時注目しているのはわずかの人だった。今度書いている物語の中に新美南吉を登場させようと思って「ごん狐」を読み返してみた。教科書にも載っているから読んだ人は多いと思うが、まだの人は読むことをおすすめする。青空文庫にもあるので、無料で読める。
青空文庫・ごん狐のページ

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