宗田理のぼくの日記帳
2002年5月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。
 
5月29日(水)
7月末に刊行する『戦友』(仮題)のモデルにした、ふくべ島(前島)をもう一度見たかったので、角川書店のDさんと三河湾まで出かけた。予報では「曇りときどき雨」というのでカサを持参したが、幸い天気予報がはずれ、終日薄日が射して絶好の取材日和だった。この島は無人島だが、今は潮干狩りのシーズンなので渡船が出ていた。港からは5分くらいで行ける。島に行くのは数十年ぶりだったが、頂上に行く道は荒れ果てて、それがまるで森林浴をしている気分だった。
そのあと吉良家の菩提寺である華蔵寺に行き。三ヶ根山から、三河湾を遠望したが、もっとも見晴らしのいい地点にはホテルが建ってしまったのが残念だった。
今日の取材でゲラに手直しをしなくてはならない。



5月27日(月)
新刊『ぼくらはどう生きるか』の見本ができた。この本を叩き台にして、学校、地域、家庭でモラルのことを話し合ってもらえたらいいと思う。掲載者には近日中に角川書店より発送する。
『子供の非行とモラル形成』(W・デーモン・スタンフォード大学)によると、他人の喜びや苦しみを自分のことのように感じる能力(共感性)は、人間として生まれつき備わっている能力の一つだという。くわしいことを知りたい人は「別冊日経サイエンス『脳と心のミステリー・心はなぜ病むのか』」を読むことをおすすめする。



5月25日(土)
ボクラコムのNさんからウイルスの注意を再三受けていたが、そのうちにと思ってほうっておいた。そうしたら21日に角川書店の聞いたこともない人から英文のメールを送られてきた。怪しいと思って削除したが、それがウイルスらしくて、角川書店のほうから注意するようにというメールがきた。
そこで慌てて新宿の『ビッグカメラ』に出かけて、「ウイルスバスター2002」を購入、セットすることにした。パソコンのデータが全部消えてしまったら大変なことになる。これまでそうならなかったのは運がよかったのかもしれない。それにしても悪いいたずらをするやつがいるものだ。みなさんも注意したほうがいい。



5月22日(水)
『ぼくらはどう生きるか』(角川書店・6月刊)を新刊記念として、当サイトでボクのサインをお付けして販売します。消費税分はサービスします。ご注文をお待ちしています。
『ぼくらはどう生きるか』解説
『ぼくらはどう生きるか』サイン本販売コーナー



5月20日(月)
まもなく刊行される『ぼくらはどう生きるか』だが、現在、同じタイトルで共同通信社から全国の地方紙20紙ほどに短いコラムで配信されている。今日は、その締め切り日で「ひきこもり」について書いた。こういった連載ものもあって、『ぼくらの特命教師』が書けないのだが…。
さて、この連載をやっていて、つい先日、読者から手紙をいただいたので許可を得てここに紹介する。

「読者の手紙」
 『別れのつらさを乗り越えよう』という文字を見て、新聞をめくっている手がとまりました。
三年前主人がくも膜下出血で亡くなりました。別れのつらさを乗り越えたかどうか、自分でもわからない状態の昨年の冬、高校生の息子が亡くなりました。今は娘と二人ぐらしです。
主人が亡くなったとき、人前では涙も見せないで、何ヶ月かすると、いつまでも泣くなよ、再婚するのもいいんじゃないか、おばあさんになって一人になったときはうちにこいよ。
子供ながら先々のことを考えていた息子は、首をつって亡くなりました。
死につながるほどの心あたりは私にはなく、検視された刑事さんも、何も出てこないといわれました。
ただ、彼の近くにあった参考書や教科書のそばにXジャパンのメンバーが書いた自伝のような本がふせて置いてありました。
そして、ふせてあったページの前のページにはヒデの亡くなったときの様子が書いてあって、それは自殺じゃない、健康法だからためしてみてもいい、といったことが書いてありました。
刑事さんはこれしかない、この本としかいいようがないと言われました。
息子はXジャパンのファンで、三年生の文化祭には友達とバンドを組んでXジャパンの曲を演奏しました。
そのメンバーの中でも特に好きな人がいて、「ああ、あの人はいい曲をつくるな」とよく言っていました。その本はその人の本でした。
宗田さんの文章の中に、子供を亡くした親、生きていくうえでこれ以上の悲しみはないとありましたが、死のほんとうのところがつかめない死、というのは悲しみもつかめません。
息子は小さい頃から本が好きで、私もいい本に出会ってほしく、いろんな本を息子のそばに置きました。
息子の大学に行ってからの楽しみのひとつは、日本文学は読みたいものはほとんど読んだので、世界文学を読みたい。そして直木賞目指して何か書いてみたいなということでした。
その息子が本のせい、それも息子にとっては敬愛する人の本ですが、私にとってはあんなあかるい本のせいで…というのは、とても表現のしようのない、なんともいえない死です。
今は小学五年生の娘のために、しかたないから生きています。息子がいなくなったときから生きていること、人生、すばらしいものとは思えなくなりました。
でも娘のこれからの人生はしあわせであってほしいと思っています。
今なんとかしないと、と思っていることが二つあります。一つは、娘が高校を卒業するまでに、私にはこれがあるというものを何かつかみたいのです。
主人が亡くなったときには絵をはじめましたが、今はとてもそんな気にはなれません。ここ一年くらいは自分がカウンセリングしてほしいような状態が続きそうなのですが、それが過ぎれば、このとんでもない経験を生かしてカウンセラーの勉強をするのもいいかと思っています。
あと一つは息子が亡くなったとき、すぐに思ったことで、息子のことを書いた本を自費出版したいということです。
主人が亡くなったときは、主人という人のことは子供たちが受けついでくれたと思ったので、本に残したいというようなことは少しも思いませんでした。
だけど17歳でいってしまった息子には子供なんていなくて…。だからいちばん忘れないでほしい娘に少し書いてみました。
でも書けば書くほど落ち込んで、それきり手をつけていません。その間に、忘れたくないけど、忘れて楽になりたいという気持ちが私の中で自然に大きくなって、頭の中にしまってある息子の思い出の部分を、私自身がプチン、プチンとつぶしていっているような気がします。
少しでも思い出が鮮明なうちに毎日少しでも書いていったほうがいいのでしょうか。おしえてください。
ゆっくり書いていると涙が出そうなので、いそいで書きました。
そんな乱筆乱文の手紙。出さなければいいのに書いてしまいました。すみません。
亡くなったこの子は「ぼくらシリーズ」の愛読者で本箱には30冊もあったそうだ。
わが子を失ったこのお母さんに慰めのメールを送ってあげてほしい。そうすればいくらかでも痛んだ心を慰めることができるかもしれない。
お母さんへのメールはメールコーナーで受け付けている。

●共同通信で配信している「ぼくらはどう生きるか」→沖縄タイムスのサイトで読める。共同通信との契約上、ボクラコムで掲載出来ないのでここで読んでみてね。



5月19日(日)
今日の朝刊にこんな記事が出ている。雪印食品の元専務らが逮捕。吉田升三元社長の談話として、「彼らが事件に関与したなどということなないと信じている」と出ていた。これより数日前、大阪のスポーツ紙に吉田升三を「よし、だますぞう」と出ていたということを聞いて、さすがに大阪のだじゃれはすごいと思った。
このところ月末に出す『ぼくらはどう生きるか』(角川書店)の最後の打ち合わせやら、7月はじめに出す『ぼくらの悪魔教師【ペーパーブック版】』(徳間文庫)の最終ゲラチェックなどに忙殺されて『ぼくらの特命教師』の原稿が大幅に遅れてしまってすまない。3章はもう後ちょっとなのだけれど、何日と約束するのはやめにした。でないと「よし、だますぞう」になってしまうから。そのペナルティーとして7月に刊行の『ぼくらの悪魔教師【ペーパーブック版】』を5冊進呈します。これはうそではない。応募してね。
●プレゼント←こちら



5月10日(金)
ぼくらはどう生きるか昨日の日記にも書いたが、『ぼくらの特命教師・3章』の公開を延期する。楽しみにしていたみんなには申し訳ないが、1週間後の19日に公開したい。
さて、当サイトでやってきた「ぼくらはどう生きるかフォーラム」がついに本になる。現在、角川書店のKくんが編集作業に携わってくれている。今日そのカバーデザインの見本がメールで送られてきた。この本のオビにはこう書いてある。
インターネットで子ども会議!
政治家の汚職、経済の破たん、非常識な教師……現代の大人社会はモラル大崩壊中だ。
大人に心を開かなくなった子どもたちに「親ってなんだろう?」「命について」「友だちって何だ」など、リアルな問いをインターネット上から投げかけると、中高生ならではの切実な悩みやひりつく想いが等身大の言葉で全国からよせられた。ベストセラー作家・宗田理が、そのすべてに目を通しアドバイスした子どもたちへの人生ガイド。
価格は950円を予定している。このホームページを開いて、それが初めて本になる。いつも来てくれるみんなに感謝。お楽しみに!



5月9日(木)
お昼に、神田の神保町に資料の散策に出かける。神保町のそば屋でボクプロNさんと今後のボクラコムの打ち合わせ。いま、原稿を3つもかかえているので、なかなか12日公開予定の『ぼくらの特命教師・3章』の執筆に取りかかれないでいる。ひょとしたら、また延期するかもしれない。その時はご容赦。



5月5日(日)
急がされる子どもたちきょうが子どもの日というわけではないが、四月末に出版された『急がされる子どもたち』(デイヴィット・エルカインド著 紀伊国屋書店刊)がおもしろかった。
かつては早熟には何かうさんくさい響きがあった。「早く熟せば早くくさる」といわれたものだが、アメリカでは1960年代以降早期教育の重要性を専門家たちが猛烈に親に吹きこみはじめた。早く刺激をあたえればその後の競争でも有利になると思いこんだ。その結果はどうかというと、子どもは大きなストレスにさらされるようになった。
早すぎる完成は幸せをもたらすだろうか? ハーバード大学のハワード・ガードナーによれば、天才時は必ず「神童としての中年の危機」を経験するという。急がされた子どもは青少年期になると自問する。「ぼくは何をしているのだろう」「私はなぜこんなことをしているのだろう」、そして自分のためでなく親のためという考えが出てきたとき、子どもはさまざまな形で反撃に出る。
子ども本人の欲求を無視して親の欲求をみたすために成長を急がせたことは許しがたい暴挙であることを親はいやでも自覚させられるのである。
人間がストレスを感じる大きな原因は、過去−こうだったかもしれないという後悔−にとらわれ、未来−こうなるかもしれないという不安−にとらわれることだという。過去は変えようがないし、将来はまだすべてが不確かでしかない。わたしたちが力の及ぶのは「現在」だけであり、「現在」にこそわたしたちはすべての力を注がなくてはならない。
大人がこうであってくれないと、子どもは現在を失い、体はその場にありながら存在しない人間になってしまう。
この本は子どももよりは大人に読ませる本である。2300円は少々高いが、子どもの日に親にプレゼントするといい。

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