宗田理のぼくの日記帳
2002年6月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。
 
6月27日(木)
豊橋市役所に出かけて、教育委員四人の人たちと豊橋をモラル日本一にしたいぼくの夢を語りあった。みんなとても熱心だったので、具体的な行動にかなり早く移れそうだ。
二学期には豊橋のF中学で「ぼくらの生きかた」について話をすることが決まった。こうして「ぼくらの寺子屋」運動が徐徐にでもひろがればいい。どこでも要望があれば出かけるつもりである。
角川書店が発行している「本の旅人」にボクラコム管理人中村ヒロシさんの「子どもたちの熱きインターネット会議」が掲載されているので、書店で読んでほしい。買っても100円。手にいらない人のために、ここに全文を載せることにした。
子どもたちの熱きインターネット会議
 宗田理という作家を知っている大人は少ない。しかし、10代の子どもたちの間では、知らない者がいないというくらい人気のある作家だ。子どもの読書アンケートをやると、読まれている作家のベスト3には必ず入る。
 とりわけ、人気作品は『ぼくらの七日間戦争』(角川文庫)を筆頭にした「ぼくらシリーズ」で、これまでに全部で30作品もある。『ぼくらの七日間戦争』が出たのが、一九八五年だから、すでに15年以上にもわたりロングセラーを続けている。
 「ぼくらシリーズ」を簡単に説明すると、豊かな個性と能力をもった主人公たちが力を合わせ、中学から高校、そしてその後の進路を通じ、「大人」という存在や「社会悪」に戦いを挑む物語。
 物語のなかにはスーパースターは一人もいない。どこにでもいるフツーの少年少女たちだ。常に冷静沈着でオールマイティーな能力を持った頼れるリーダーや、包容力ある人柄で、イタズラの発想力と行動力抜群の中心人物の他、学力、ケンカ、芸術、話術、料理、機械、医学…と登場人物たちは何らかの特技、能力を持っている。そして、彼らは固い友情と絆で結ばれている。「自分も仲間に入りたい」と思わせてしまうのだ。
 そして、何よりも彼らは、どんな荒波に襲われようとも、どんな困難が立ちはだかろうとも、くじけず、めげず、決して負けない。その前向きな姿が、若い読者に生きる勇気と希望をわき起こす。いわば、読者の生きる手本になっている。
 学校で嫌なことがあったとき、ふとしたことで友達とうまくいかなくなったとき、いじめにあってつらくなっているとき、「ぼくらシリーズ」を読んでいるうちに、話のなかにどんどん引き込まれて、いつのまにかあっという間に読み終わっていて、そしてものすごく元気が出ていた、というような手紙が多くの読者から届けられる。
 もっと読者との交流をしたい、という願いから、2年ほど前に宗田氏より、「ホームページを開設したい」という相談を受けた。話を聞くうちに、インターネットを使って子どもたちの声を聞きたいという宗田氏の熱い思いが伝わってきた。
 パソコンにある程度の知識があった私は管理人に任命されて、2000年9月に公式サイト「ボクラコム」を開設した。ボクラコムには、宗田氏の日記や読者からのメールを集めたコーナー、感想掲示板、登場人物人気投票などの他に、このサイトならではの企画に書き下ろし小説も有料で公開している。値段は300円で、これまでに700人以上が購入してくれた。今では一日平均1万5千のアクセス数がある。
 昨年、宗田氏が「ボクラコムで、テーマを読者に投げかけて、意見を集めたり討論したりする場をつくってほしい」と依頼があった。
ぼくらはどう生きるか それには宗田氏のこんな思いがあった。最近の政治家、官僚、学者などのエリートたちのモラルが大崩壊をはじめたということで、いちばん被害を受けるのは子どもたち。大人が自分たちのことを棚に上げて、道徳教育などと言ってほしくない。なら、子どもたちにモラルを考えてもらおうじゃないか、というのである。
 そこで、掲示板方式にした「ぼくらはどう生きるかフォーラム」を設置した。それぞれほぼ十日ごとに投げかけられたテーマは「親について」「いい先生と悪い先生」「腹の立つとき」「嫉妬について」「友達について」など、子どもたちの身近なかつ多岐にわたったものだった。
 書き込みは次から次に寄せられた。「腹が立つとき」というテーマでは、自分の周囲のことだけでなく、ニューヨークのテロ事件もあって、アメリカやタリバンについての意見が寄せられ、子どもたちが「戦争」に敏感になっていることも知った。
 このフォーラムは、子どもたちの熱きインターネット会議となり、『ぼくらはどう生きるか』(角川書店)として出版した。なぜ大人が混乱しているか。それはみんなが、特にエリートといわれる人たちがルールを守らなくなったからである。自分はルールを無視して、子供にだけ守らせようとしても、それははだかの王様である。著者は本書を持って、体力の続く限り全国の中学をまわって生徒たちとモラルについて語り合いたいと言っている。
『ぼくらはどう生きるか』をbk1で購入(自宅に届けてもらえます)
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6月26日(水)
今『新・ぼくら』の最新刊の最後を書いている。今度のはゴーストタウンになりそうな市を子どもたちの力によって、再生させてしまうという途方もない話なので、苦闘した。
もともと『新・ぼくら』は全国にいる子どもたちのパワーとエネルギーを結集して、大人社会をぶっこわして、子どもにとってすばらしい社会にしようとはじめたものである。これからも全国各地を舞台に大暴れさせ、やがてそれを一つにしようと思っている。
そこで考えたのだが、今度の本が出たら、中学生版の『新・ぼくら』を募集しようと思っている。
○○中学の『新・ぼくら』だ。みんなが通っているそれぞれの中学にはいろいろなドラマがあるにちがいない。それはノンフィクション(本当の話)でもフィクション(作り話)でもいい。詳細は後日発表するが、大体長さは40字の300行くらい。『新・ぼくら』を参考にして書いてくれればいい。はノンフィクション(本当の話)でもフィクション(作り話)でもいい。詳細は後日発表するが、大体長さは40字の300行くらい。『新・ぼくら』を参考にして書いてくれればいい。



6月24日(月)
昭和20年6月22日、大本営(だいほんえい)は沖縄作戦の組織的戦闘終結を発表した。そのことは8月に出版する『子どもたちの戦友』(角川書店)でも取り上げた。このところ日本中がサッカー一色だが、そのさ中23日に沖縄は57回目の「慰霊の日」を迎えた。あのとき沖縄の人たちもたくさん犠牲になったが、特攻機で若者が南の海に散華していった。
今朝の読売新聞朝刊の編集手帳に沖縄のわらべうたを「おきなわのこどもあそびうた」から引用していた。
「てぃんぐさぬ花や 爪先染みてぃ 親ぬゆし言や 心に染みり」
てぃんさぐぬ花とはホウセンカのこと。それで爪を染めるように、親の言うことを心に染めなさいと諭しているとあった。

今日から、ぼくの永年の友人である丸山寛之さんのコラム、「マルさんの保健室」を始めた。トップページのゲストコラムを見てほしい。「サンフランシスコ通信」に続く、第2弾である。マルさんこと丸山さんは医事評論家で医学には大変詳しい。ぼくの健康面でも何度も助けてもらっている。みんなも健康問題で悩みがあれば、メールコーナーから相談してみてほしい。すべてに答えられるかどうかはわからないが、マルさんに取り次いでみるよ。



6月21日(金)
『ぼくらはどう生きるか』出版のお疲れさま会を新宿で。担当編集者のKくんと、ボクプロNさん、それに朝日中学生ウイークリーのNさんが集まった。ぼくがこれから書きたい小説のことを話したりして、楽しい時間が過ぎた。藤木さんから、今日も「サンフランシスコ通信」が送られてきた。明日アップする予定。
ゲストコラムは「サンフランシスコ通信」以外にも、もう一つ企画しているものがある。こちらも楽しみにしていてほしい。


6月20日(木)
「ぼくら新聞」の特集コーナーに「ぼくらの活躍舞台」という記事が載っていた。よく調べたものだと感心。ついでにいうと、ぼくは佐渡と琵琶湖を取材済みである。佐渡には面白い伝説があるので、それにからめて「2A」で書こうと思っている。琵琶湖のほうはいじめられて湖に入水した女の子が助けられて、超能力を身につけ、みんなを支配する話。「新ぼくら」は、今回の舞台は富士山の見える町だが、次は九州にも行きたい。

『ぼくらの悪魔教師』の文庫本のサイン販売受付を開始した。詳細はサイン本販売コーナーにどうぞ。7月5日まで受付中。
『ぼくらの悪魔教師』サイン本販売コーナー



6月19日(水)
今日鈴木宗男代議士が逮捕された。このことはぼくにとってもちょっとした感慨である。というのは、18年前の1984年にぼくはカドカワ・ノベルスで「船絵馬殺人事件」(のちに『秘文字で書かれた殺人調書』角川文庫)という小説を書いたのだが、それは中川一郎氏の怪死事件をモデルにしたもので、中川氏は大川、秘書の鈴木氏は青木という名前で登場する。その当時かなり取材したのだが、中川氏の自殺は怪死と判断し、そこから物語をふくらませていった。当然のことながら秘書の青木は黒に近い灰色であった。その真相は今も闇だと思っている。
明日から、サンフランシスコに在住する藤木千鶴さんの「サンフランシスコ通信」を掲載する。サンフランシスコの教育事情などをレポートしてもらう。不定期の連載になる予定だ。



6月18日(火)
サッカーの日本とトルコの試合があって1対0で負けた。予選を通過してこれくらいがいいところだ。よくやった。これ以上は望みすぎだと思っている。
試合の前日から当日にかけてのフィーバーぶりは異様だった。予想のすべてがトルコに圧勝とあった。ぼくは太平洋戦争前夜の日本を思い出した。あのときもアメリカに圧勝するというムードが日本を満たしていた。それに反対する意見は抹殺してしまった。そのせいもあってか、ぼくは家にいたがあの試合は全然見なかった。見なければ日本人ではないというムードがいやだったからだ。
試合の間中、原稿を書いていたが、少しも試合のことは気にならなかった。



6月13日(木)
『ぼくらはどう生きるか』を持って豊橋市長に会った。そこで豊橋をモラルのある市にしたらと2時間半も話して帰ったところ、その夜から声が出なくなってしまった。2、3日前から喉をいためていたのだが、喉に負荷がかかりすぎたのかもしれない。今も声がかすれているので、電話をかけてきた人は間違い電話と思うらしいのがおかしい。こんなことははじめてである。



6月12日(水)
アメリカのサンフランシスコに在住するFさんという二人のお子さんをもつお母さんから手紙をもらったので、了解を得てここに紹介したい。

Fさんからの手紙
 初めまして、私は中3と小6の娘をもつ38歳の主婦です。現在は主人の仕事でサンフランシスコに住んでいます。
 去年の12月クリスマスの頃にニューヨークへ行ってきました。子供達に子供達がこれから生きて行く時に人間の命がどれくらい大切なものか、悲しい出来事の後に生まれる幸せへの希望のパワーがどれぐらい必用なものなのかを感じてほしかったのです。もちろん一般的にも自由の女神や多くの博物館を見せたいということもありましたが、子供達はまず空港のセキュリティーチェックに始まり、どこに行ってもチェック、チェックで、それだけでも事の重大さに驚いてしまいました。
 さてそのニューヨークで宗田先生の本に出会ったのが私達親子の“先生の本にはまった”はじまりです。帰りの飛行機で読むものをということで、中3の娘が『ランドセル探偵団』を買ったのです。それからサンフランシスコに戻り、日本の本屋さんへ行き、「ぼくらシリーズ」を上の子が、「2Aシリーズ」を下の子が買いはじめました。
 私達はサンフランシスコに現在3年半住んでいますが、その前2年半はミラノに住んでいたので、先生の話が目に浮かび、フィレンツェレストランのメニューを考えると、スカンピェズッキーニが食べたいだの、クワトロフォルマッジョが美味しかっただの、思い出に花が咲くのです。
 子供達も日本よりうんと高い値段でも、「ぼくらシリーズ」は買ってほしいと言うので、子供達のお小遣いは全て本に変わりました。下の子が「2Aシリーズ」の最後まで読み、今は「ぼくらシリーズ」を読み始めています。
 私ももちろん上の子も遂に『ぼくらのラストサマー』を読み終えてしまいました。私なんて、なぜか最後涙してしまいましたよ
 久しぶりに本にはまり、子供達も本を読み、いろいろ考えることが増えたようです。まもなく7年になる海外生活、日本での子供の学校を考えると少々悩みもありますが、ぼくらシリーズの仲間のように長く続く友達を見つけてもらえたらと思います。
 この夏一時帰国で愛知県に帰るのですが、その時に『ぼくらの七日間戦争』のビデオを買ってこようと思っています。『ぼくらの七日間戦争』『ぼくらの天使ゲーム』の表紙を見て、だれがどの役なのか?と疑問なのです。
 つきましては、どこでビデオを売っているのか教えていただけないでしょうか? 今子供達は日本への帰国でこのビデオがいちばん楽しみなのです。
 それでは、またいつか「ぼくらシリーズ」の仲間の話、読める日が来る事を楽しみにしています。
 追伸 上の娘は登場人物の性格、特技などがわかった上で、もう一度『ぼくらの七日間戦争』から読みはじめました。さらに面白さがましたようです。
この手紙をもらってからすぐにメールで返事を書くと、またFさんからメールが届いた。
宗田先生、お返事ありがとうございました。
メールを開けた時は本当に嬉しくて舞い上がってしまいました。
メールを開ける前に、ちょうど上の子が読み終わった『ぼくの社長ゲーム』の話しをしていたところだったので特にびっくりしてしまいました。
上の子はハイスクールの1年生(9年生)なのですが、今週で学校は終わり夏休みに入ります。今、ファイナル試験の真っ只中なのですが、なぜか学校へ行く前に先生の本を読んでいるのです。
親としては、その日の試験勉強をしてほしいと思っているのですが…。
「『ぼくのおもちゃ戦争』より『ぼくの社長ゲーム』の方がおもしろかった」なんて暢気に感想を語っていたりするんですよ。
まあ、こちらの学校は日本の試験とは全くと言ってほど違うので、みんな試験とは言えのんびりしています。
ノート持ちこみも多いし、日本のカンニングペーパーは考えられないですね。
この前は、数学(geometry)のプロジェクトだと言うのに、グループでダンボールのボートを作ってプールで競争したのです。もちろん、設計図は数学的でしたが、採点はアートなどの表現力も入り数学とは全く違ったものも含まれるのです。
English(国語)のファイナル試験はロミオとジュリエット、To Kill a Mochingbird(アラバマ物語)で160問の問題だったそうです。
とにかくこちらはたくさんの本を読ませ、いろいろなプロジェクトを出すのです。
To Kill、、、の時はMochingbird(まねしつぐみ)を粘土で作り、Mochingbird が何を意味しているのかをみんなの前で発表したと言っていました。
全員がそれぞれ、その本の何かを伝えるために全て違う課題が与えられたりもするのです。

うちは、土曜日に日本語補習校に通い、日本語の勉強もしていますが、子供達は現地校の方が好きなようです。
サンフランシスコに来て3年半、イタリアに住んでいた時はたくさんの絵、遺跡を見て
歴史の素晴らしさ、重さをたくさん感じました。
こちらに来てもその時の何かが残っているのか、形は全然違いますが、夏休みには毎年、自然と化石を求めて旅行しています。
今までにユタ、ワイオミングで魚、三葉虫、アリゾナで木、今年はアメリカとカナダの国境あたりで恐竜の骨を1日中掘る予定です。
女の子ふたりなのですが、特に下の子が変わっていて、これのどこが?と言うものが大好きなんです。
初めて食べたサザエのつぼ焼きのふたをいまだに宝物にしたりしているのです。
そうそう、アラスカに行った時は砂金掘りもしました。アラスカでは山の頂上でグリズリーベアーと遭遇し、この時の体験は生涯で忘れられないものとなりました。
下の子が見たいと言うのでただで入ったスライドショー。ここで子供達はジュニアパークレンジャーになり、そしてグリズリーに出会った時の対処の方法を習っていたおかげで私達は助かりました。
その方法はちょっと笑えるというか、想像つかないものなのですが3段階になっているのです。
私達は3、4メートル近くまで来たグリズリーを2段階目でクリアーすることができました。命の大切さと自然のすごさを味わった一瞬は忘れられません。
こんな経験もどこか「ぼくらシリーズ」に似ているところで、子供達も冒険好きなぼくらの仲間が大好きなのだと思います。
この夏は8月7日まで恐竜の骨の発掘にでかけ、その後2週間ほど帰国の予定です。
先生にはその時にご連絡させていただいてもよろしいでしょうか?
名古屋は私の生まれ育ったところです。西区で酒屋をやっていました。今はもう両親は尾張旭でのんびり庭にくだものをたくさん植えて老後を楽しんでいます。
長くなりましたが、1日も早く『ほくらの七日間戦争』のビデオが見れることを楽しみにしています。

私達がパークレンジャーからグリズリー撃退法を教えてもらったように、先生も今の子供達に学校では教えないサバイバルな生き方を、技術的にも精神的にも伝えられるような本をたくさん書いてください。私達は先生の本のおかげでいろいろな楽しみ方を覚えているのです。
宗田先生の本もこちらに来て56冊買い求めました。
この次は『ぼくらは隠れ悪ガキ隊』を求める予定です。日本の一時帰国には残り全てを求めたいと思っています。
先生の本の中でのいたずらや冒険がこの国では学校の中で普通に起こります。子供達はそれをとても身近に感じ、益々、先生の本に吸い込まれているようです。
ただ、ぼくらの仲間のようにずっと同じ仲間を見つけられないことだけが淋しいようです。
でも国、言葉を超えた友達もまた簡単に見つけれれるものではないので、貴重な宝物です。

親としてはいろいろ複雑な思いもしますが、「ぼくらシリーズ」が私達家族の話題になり、こちらでいやな思いをしたり、落ち込んだ時、楽しみを運んでくれたのは間違いないことです。
毎日、先生の次の本に出会うことが本当に楽しみです。



6月11日(火)
小児医療の件、早速M氏が教えてくれた。こういうことだ。
「これは今に始まったことではないんですね。早い話、新宿周辺には慶応、東京女子医大、東京医大といった有名大学病院をはじめ、公立私立の大病院がたくさんありますが、夜間の小児急患を受け入れているのは、国立医療センター一箇所だけです」
どうしてこんなことになってるのか。
「理由は、医療側、患者側、双方にあると思います。医療側の問題としては、小児科医の絶対数が足りない。つまり小児科医になりたがらない若い医者が増えているということがあります。どうしてかといえば、ペイしないからです。子どもの診療には時間がかかります。自分で症状を訴えられない子どもの診察には時間がかかります。泣き叫ぶ幼児に注射を打つとなると、医師と看護婦二人かがり三人がかりになります。それなのに子どもに投与するクスリの量は大人の数分の一。当然、診療報酬も低い。
小児科医の収入は他科の医師の半分」といわれています。生き残りをかけた病院は、経営効率の悪い小児科を切り捨てます。厚生労働省の調査では、小児科のある一般病院数はこの10年間で500も減っています。残った病院の負担はそれだけ─いや、それ以上に増えることになるわけです。
過労のためうつ病になり自殺した小児科医もいるくらいです。
患者側にも問題があります。
夜間や休日に小児科の救急外来に来る子どもの90%以上は、軽症で、検査や入院の必要がない患者といわれます。
核家族化で、身近に相談できる年長者もなく、不安にかられてやってくる親がそれだけ多いということでしよう。

コンビニのように気軽に来られては困る。患者(の親)を教育して、受診を減らそう」という医師も多いようですが、そんなことができるでしょうか。
不要不急の患者が殺到するから医者の負担が増えるのは事実でしょうが、医者が診たから「軽症」とわかるので、親には軽いかどうかわからないということもあるでしょう。
とにかく、この問題の根は深く、複雑です。
アメリカで、数年前から医療のキーワードになっている「アドボカシ−(advocacy)」という運動があって、「患者の利益を守る」ということのようです。日本でもその運動を広げていこうとしている小児科医のグループがあります。
そういう心ある医師たちの重い負担のうえにこの国の小児医療─つまり民族の未来を担う子どもの健康─は辛うじて成立している。 そういっては過言でしようか



6月10日(月)
昨日中学の同窓会があったのでしばらくぶりに出席した。なかには50年ぶりに会った者もいて、向こうはぼくの顔がわからなかったと言ったが、こっちもだれだか全然わからない。しかししばらくすると、昔の少年時代の面影が浮かび上がってくる。名簿を見ると、三分の一は物故者になっている。まさに櫛の歯が欠ける感じだ。そのなかで当時の担任だけが99歳で健在である。寿という色紙をもらった。
今朝の新聞はサッカーの記事一色だが、こんな記事が気になった。救急病院に子供の急患をつれて行っても専門医がいなくて5割は診てもらえないのだそうだ。小児科の看板をかかげていても、なぜことわるかというと、子供を診ることのできる医師がいないからだ。
少子化時代で、子供は大切なのにどうしてだろう? その一方で老人医療の過剰診療がいわれている。なんだかおかしい。このことは医事評論家のM氏に聴いてみようと思っている。こんな記事が気になるのも昨日老人をたくさん見たせいかな。



6月2日(日)
『ぼくらはどう生きるか』(角川書店)が6月3日から店頭に並ぶ。この本はHP上のインターネット・フォーラムだが、これだけでは言い足りないので、中学校に出かけて直接みんなとモラルについて話し合いたいと思っている。もしうちの学校にきてほしいという学校があるなら、ボクラコムでも角川書店の「ぼくらはどう生きるか」係に連絡してほしい。すべての学校に行くわけにはいかないが、できるだけ出かけたいと思っている。

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