宗田理のぼくの日記帳
2002年8月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。
 
8月31日(土)
今日で暦の上の夏は終わるのだが、ここ数日の猛暑は秋の気配はまったくない。これでは熱帯にいるみたいだ。中学生だったとき、炎天下でドラム缶転がしの作業をさせられたので、夏の暑さには強いはずだが今年の夏はひどかった。こんなときに授業をやる人たちに同情する。暑いときには無理をしない。ぼくはボルネオで木の下で何時間も昼寝している人を見て、最初は怠け者と思っていたが、数日暮らすうちにこれが熱帯で生活する知恵だと思った。暑いからといって冷房の中にいすぎることはよくないと自分に言い聞かせている。
これで夏休みも終わりか、と草いきれのなかで青い空を見上げながら思ったときのやるせなさは、もう何十年も前のことだが思い出せるなあ。
アルテミスファウル本屋で「悪の天才少年の登場に妖精界は大パニック」という帯のキャッチコピーにつられて『アルテミスファウルー妖精の身代金ー』(角川書店)を買った。ぼくも天才少年を書こうとしているので、かぶるといけないと思ったからだが、その心配はなく面白かった。英米ではハリーポッターを抜く大旋風だそうだが、来年映画になるらしい。日本でもブームになりそうな予感がする。



8月28日(水)
午後1時30分から蒲郡市の「ホテル竹島」で『子どもたちの戦友』の出版記念講演を行なった。今度の本は三河を舞台に戦争中の少年達を描いたので、どうしても地元の人たちに話したくて蒲郡で行なったのだが、会場はいっぱいであった。
鈴木秀子さん撮(三河湾の写真)鉄道唱歌に「海の眺めは蒲郡」といわれるくらい三河湾は風光明媚なところである。そこで育った少年たちがやがて戦争に巻き込まれて悲劇的結末を迎える物語だが、それを子どもたちに話してほしいということを述べた。みんなよく聴いてくれて用意していた本が全部無くなってしまった。
そのあとモデルの達ちゃんを同級生が囲んで歓談した。三河湾の写真を写真家の鈴木秀子さんに撮りおろしてもらったのが好評であった。
『子どもたちの戦友』については「本の旅人」(角川書店)9月号に掲載されているので書店で手に入ったら読んでほしい。



8月27日(火)
明日の講演に備えて準備。
角川書店より、新刊の『新・ぼくらのいいじゃんか!』が届いた。早速サインを入れた。すでにたくさんの注文をいただいていて、どうもありがとうございます。発送が少し遅れていて申しわけありません。あと数日、お待ちください。



8月21日(水)
若き日のアントニオさん
若き日のアントニオさん
『子どもたちの戦友』の出版を記念して、達ちゃんのモデルTさんを囲んで彼の同級生たちと会食した。場所は代官山の「パパ アントニオ」。ここの主人コメンダトーレ・アントニオ・カンチェミさんは86歳だが、われわれのために自らニョキを作ってくれた。ジャガイモと小麦粉だけで作るのだそうだがこれがなんともうまいのだ。
現在のアントニオさん
現在のアントニオさんと
コメンダトーレというのは88年にイタリア政府から授与されたナイト爵位の最高である。日本にはじめてイタリアの食文化を伝えた男として有名な人だ。彼の料理は100年以上昔のイタリアの味を代表する「オールドファッションスタイル」を再現したもので、そうかと納得できる味であった。背はぼくより低いが、いまだに手打ちパスタを作るパパの手は指が太くてたくましかった。彼の健康の秘訣は一日一回の食事で野菜が主だということ。250歳までは生きると言っていた。すてきなイタリア人に会えたのはうれしかった。今度また行ってみよう。
ボクラコムのNさん夫妻、2A探偵局の有季のパパのモデルであるO夫妻、角川書店のMさんなどが参加してくれて、楽しいパーティーだった。



8月12日(月)
午後2時に名古屋の東急ホテルで里帰りした藤木ファミリーと会うことができた。藤木さんには当サイトで「サンフランシスコ通信」を書いてもらっている。中学3年と小学校6年の姉妹とも、話していると7年間も外国暮らしをしていたとは思えない。
サンフランシスコの学校の話は「サンフランシスコ通信」で、ある程度わかってはいたが、話しているうちに、「2A探偵局」の舞台をサンフランシスコにしたくなった。有季は前にイタリアに行ったことはあるけれど、アメリカには行っていない。英語は不自由しないから、言葉は大丈夫だ。ぼくが取材に行ったら、お姉さんの菜津子さんが案内してくれるというので、秋には行ってみようかという気になった。どういうストーリーにするか、それをこれから考えなくては。
サンフランシスコ在住のイラストレーター、イヅミさんのイラストをおみやげにいただいたので掲載する。彼女もまた「ぼくら」ファンだというのがうれしい。そういう人でないとこういうイラストは描けないと思う。トップページのイラストがそれだ。ぼくの写真と変更した。
暑い一日だったがとても楽しかった。
藤木さんと藤木さんの娘さんたちと
藤木さんと藤木さんの娘さんたちと



8月8日(木)
暑い日が続いている。『子どもたちの戦友』サイン本はすでに現在30件ほどご注文いただきました。注文をくださった方、どうもありがとうございます。18日まで注文を受け付けているので、まだの方はぜひどうぞ。(注文受付は終了しました:8月19日)
8月下旬に出る新刊の『新・ぼくらのええじゃんか』(角川文庫)の見本が出来てきた。こちらも、サインを入れて、当サイトでまもなく発売する予定。たくさんの注文を待っている。
ぼくの所有している著書がけっこうある。このまま置いておくのももったいないと思い、この際なので、在庫処分もかねてサインを入れて発売しようと思う。ぼくの本がなかなか手に入らない、という読者もいるようなので、ぜひ注文してほしい。ただし、各1、2冊ほどしかないので、注文の早いもの順になる。こちらも近日中に当サイトで受け付け注文出来るようにしたい。



8月7日(水)
きょうは豊川海軍工廠がB29の爆撃に遭い、二千数百人が爆死してから57年目にあたる。その日を記念して『子どもたちの戦友』の講演会を豊橋文化会館で行なった。
いつもだとぼくの講演会は子どもが多いのだが、今日は老人が多かった。ほとんどの方は生き残りの人たちである。その人たちにとって今日は特別の日であるにちがいない。57年前の今日はセミがいつもよりはげしく鳴いたと手記にあるが、今日もセミの声はしきりであった。
子どもを幸せにするのも不幸にするのも大人だと思っている。かつての大人は子どもを死に追いやったが、今の大人はどうだろう?
岡田君と記念撮影以前、サイン色紙プレゼントをやったときの当選者で和歌山在住の岡田君が東京に行った帰りに途中下車して講演を聴きにきてくれた。二人で記念撮影。岡田君ご苦労さま。
講演が終わってから中日新聞の記者から、ぼくの20代はどうだったかインタビューをうけたが、当時のぼくは政治の裏側で若さにまかせて動きまわっていた。今のぼくからは想像もできないと驚いていた。



8月1日(木)
毎日猛暑がつづいている。ぼくが中学生だったころの夏休みの宿題は軍馬の飼料として干草40キロだった。40キロの干草というと、リヤカーに山盛り、中学一年では坂道が上がらないので友だちに押してもらった。その草刈が大変で毎朝海岸の堤防に出かけて草を刈り、そのあと松林で読書した。この経験は今となってみると懐かしい。
そのころも夏は暑かったが、最近の東京ほどではない。このところの暑さは異常としかいいようがない。ヒートアイランド現象か。
「ぼくら新聞」最新号を見たら面白い記事があった。恵美さんの「魔女の秘薬」である。ぼくはずっと「魔女の秘薬」を題材に物語を書こうと思って調べている。魔女に関する本は多いが『精神活性物質の事典』(青土社)を読むことをおすすめする。そこに「魔女の軟膏」という項目があるがこれは笑える。

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