宗田理のぼくの日記帳
2002年12月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。
 
12月27日(金)
「ぼくらの特命教師」のサイン本販売受付を明日開始する。この小説はもとは、このサイトでWEB版として公開してきたが、結局、3章以降を公開できずにいた。徳間書店から、ぜひとのことだったので、年末に一気に書き上げた。これまで公開していた文章とはかなり異なっているので、WEBでの公開を中止とした。ぜひ、文庫版を読んでほしい。
「それからのぼくらシリーズ」第三作目のタイトルを決めた。「ぼくらの失格教師」。
最近は学校に出られなて、教師をやれなくなる人が多いらしい。いったいどうなってしまったのだ。若い教師がそんなことで、それじゃ子どもはどうなる?英治に喝をいれさせよう。
発売日は2003年8月を予定している。そのまえにホームページにのせたい。

「ぼくらの特命教師」サイン本受付ページ



12月25日(水)
サンフランシスコから帰って以来『13歳の黙示録』の後編にかかりきりの毎日である。予定よりすっかり遅れてしまったので、来年の正月はぼくにはない。
今日『ぼくらの特命教師』の見本ができた。1月6日には店頭に出る予定。ボクラコムでもサイン本販売をやるので、近日、お知らせしたい。



12月17日(火)(サンフランシスコ滞在記)
朝10時40分の全日空機でサンフランシスコを発つ。11時間後の午後3時に成田に着いた。日付は18日になっていた。



12月16日(月)(サンフランシスコ滞在記)
朝空港にでかけて中を歩いてまったが、だだっ広くて迷ってしまう。
そのあとはホテルで物語の構想を考えていると、藤木ファミリーの三人がお土産を持ってやってきた。それがなんとびっくりおもちゃである、しかも一つや二つではなくて、袋いっぱいである。この写真がその一部。
そこでまた、二人に追加取材。まったくお世話になった。結局、滞在中はずっと雨。カリフォルニアの青空を見ることはできなかった。
ふざけてみた悦子さん(左)と菜津子さん(右)



12月15日(日)(サンフランシスコ滞在記)
今日も雨がつづいている。藤木さんのご主人の運転でファミリー全員でダウンタウンに行く。そこでイラストレーターのいづみさんをピックアップして、ジャパンセンターに行き紀伊国屋書店に入る。『ぼくらの七日戦争』はここでは7・6ドル。約千円する。
夜、中国料理点で飲茶を食べる。ここも中国人が多くてアメリカにいることを忘れさせる。



12月14日(土)(サンフランシスコ滞在記)
藤木さんに迎えに来てもらってサンフランシスコ・ミルズ・ハイスクールに行き、国語の先生に会う。名字がぼくと同じ宗田なのがおかしい。
そのあとサンフランシスコ日本語補習校に行って講演と質疑応答をした。日本では見られない生徒たちとのやり取りが楽しかった。
学校の文庫の中にぼくの本が何冊もあった。
講演中のぼく



12月13日(金)(サンフランシスコ滞在記)
朝から雨。ホテルに全日空のサンフランシスコ事務所長の小室夫妻が車で市内の案内を買ってくださることになった。予期していなかったが大助かり。
まずダウンタウンに出かけてゆっくりと街の中を見てまわった。今度の小説でのロケハンというところで、チャイナタウンも行ってみたが、ここはまさに香港で、アメリカにいるとはとても思えない。
昼に近くなったのでフイッシャーマンズワーフのグロットという大きい店でカニやエビを食べた。少し時間が早かったせいか客の数は少なかった。
藤木さんの家にもどって、こんどは藤木さんの車で高校生の菜津子さんと中学生の悦子さんの学校に行きピックアップして家に帰った。
それから二人に資料を出してもらったり、学校のこと、友だちのことなどをたっぷり聞かせてもらった。これがこんどの目的。
夜ホテルにもどるとき、どこの家にもクリスマスの電飾がしてあり美しかった。




12月12日(木)(サンフランシスコ滞在記)
空港には藤木さん夫妻が出迎えに来てくださり、藤木さんの車でお宅に直行した。小高い丘の広い窓からは空港が一望できて、日本では想像できない景観だ。
しばらく話などしてホテルに行った。ここから空港はさらに目の前にあり、発着する飛行機に目を奪われた。その日はまず休むことにした。



12月12日(木)
 今日の午後サンフランシスコに向けて発つ。帰るのは18日。それまで向こうの中学と街を見る予定。当サイトで連載中の「サンフランシスコ通信」の藤木さんが案内してくださるので安心。14日には日本語補習校で講演をすることになっている。
 サンフランシスコを舞台にアメリカ版の『ぼくらの七日間戦争』を書くつもり。構想はできている。とてつもなく面白いものにしたい。
 次は日本に帰る18日までおやすみ。では、行ってきます。



12月8日(日)
名古屋の「マナハウス」に角川書店のDさんと出かけた。今日の講演のテーマは「ぼくらはどう生きるか」と「ぼくらスリーズ」の裏話を担当編集者であるDさんと語るという内容である。
いろいろな話を披露したが、ぼくのいらずらのエピソードを思いつくまま話した。
それはDさんとボルネオに取材旅行に行ったときの話で、取材に出かける前ぼくはDさんを驚ろかしてやろうと思い、東急ハンズであるものを仕入れた、それはハゲ頭のかつらで、朝Dさんがドアを開けたとき。ぬっと顔をだして、心労のため一夜にして髪が抜けてしまったと言えば彼女は腰を抜かすかもしれない。という筋書きである。
筋書きどおり、Dさんがドアをノックした。ぼくはかつらを装着してドアを開けた。そこで彼女はアッと驚くはずであった。ところが、驚くどころか呆れ顔。これにはがっかり。いつもいたずらをしかけているので、ちっとやそっとでは驚かない。現実はフィクションみたいにはうまくいかないという話。
講演が終った後で来年の2月22日に名古屋し公会堂で講演する打ち合わせを「名古屋おやこセンター」の理事長のTさん、事務局長のYさんとした。
愛知淑徳大学コミュニケーション学部のK教授にも会い著書をいただいた。これから読むつもり。
そういえば、昭和16年の今日アメリカと戦争をはじめたということを話すのを忘れていた。昭和も遠くなりにけりだ。



12月6日(金)
『ぼくらの特命教師』の最終校正打ち合わせのために徳間書店の編集部に出かけて、担当のIさんとゲラの付け合せをする。
鹿児島へ講演に行ったことで、Iさんも編集長も心臓が縮む思いだったそうだ。本当は12月発売だったので、これまで遅れたら切腹ものだ。どうにか間にあったのでやれやれである。鹿児島からの飛行機の中でストーリーを考え、最終章50ページを3日間、死にものぐるいで書き上げた。徳間で刊行は1年2回の約束だから次の締め切りは5月末。Iさん、今度は守るよ。
8日は名古屋の「マナハウス」でトークショー。12日から1週間はサンフランシスコへ取材旅行。今年の師走はあっという間に終わりそうだ。



12月1日(日)
 11月29日に鹿児島に講演に出かけた。江戸から鹿児島まで440里、1700キロ、参勤交代のとき、40日から60日かけたというが、今は1時間30分ほどで行ける。
 空港に着いたのが2時少し前。NさんとSさんが迎えに出てくれて6時半の講演まで時間があるので桜島につれて行ってくれた。この方たちにはそれから3日間たいへんお世話になった。
 桜島の子どもたちがヘルメットをかぶっているので、こんな島でも交通事故があるのかと思ったら、降灰に石がまじるからだそうだ。いつ石が降ってくるかわからないというのは驚きだが、ここの土石流はすごいらしい。天気がよかったので桜島の景観はすばらしく、わずかに噴煙が上がっていた。桜島の小みかんをたべる。ここの名産で素朴な、昔のみかんを思い出させる味だ。
 講演は公民館でおこなったが、聴衆には先生が多かった。みんな熱心に聴いてくれた。
翌日は雨。それも会場の小学校に着いたときはかなり激しく、これで来るのだろうかと思ったが、予想以上の人が集まり、持参した『ぼくらはどう生きるか』は残りわずかになってしまい、夜の講演のときには売り切れてしまった。
 結局、鹿児島で3回行なったが、手ごたえは十分あった。先生たちがそれぞれのクラスで話してくれたらいいと思う。
 翌1日は晴天、気温も高く12月とは思えない日であった。2日間で3回講演したので、のどが少しいかれたようだ。

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