宗田理のぼくの日記帳
2004年8月
★毎日ではありませんが、気まぐれ的に書いています。
 
8月24日(火)
 福岡市の福岡少年院に出かけた。ぼくが講演をし、いなづま戦隊の上中丈弥君のトークと歌ということで、その様子をテレアサで撮影するというもので、ここまでくるのに数ヶ月かかった。これは9月の20日あたり、報道ステーションで放映するそうだ。
 少年院に講演に行くのははじめてである。ここ九州中のワルが集まっていると院長が言った。少年院の定員は150名だが、現在収容されているのは180名余。非行の最大は窃盗。つぎは道交法違反というから暴走族である。そのほか強盗、傷害、強姦猥褻などさまざまである。収容期間は一年以内が大半だそうだ。
 一体どんな連中だろうかと思っていたところ、どの顔も目つきもふつうの中高生とかわらない。これでそんな凶悪な事件を起こしたとはとても想像できない。
 一緒に食事をして話したが、言葉つきも穏やかで、脱走したいとは思わないと言った。少年院は規律がきびしいので、入所したときは多少突っ張っていてもすぐに規律に従うそうだ。
 講演のときも歌のときも、生徒たちは背筋をぴんと伸ばし、両手はきちんと膝の上に置いている。
 これではとても歌えない。もっとリラックスしろと上中君は嘆いていたが、歌の後半になってようやく、盛り上がってきた。といってもライブハウスみたいに声はかけてこなかったが。
 人はこういうところに入るとこんなにも変わることが驚きであった。それもたった数ヶ月である。荒れて授業崩壊をしている中学生を少年院に数ヶ月入れたら、まともになるような気がした。
 ただしここでは、150名の生徒に対して職員が60名もいる。しかもその大半は生徒と起居を共にしている。中学校では教師の数が少なすぎて、こんなきめ細かな教育はできない。そこが問題だという気がした。



8月15日(日)
 今オリンピックが真っ盛り。59年前の終戦の日だったことを思い出す人はわずかしかいないという気がする。
 あの日の暑さは今もわすれられない。あれから日本は平和になったというけれど、戦争は依然としてつづいて、いつ終るとも知れない。
 人は勝つということに異常な執念を持っている。それはオリンピックで自国の選手が金メダルを取ったときの熱狂ぶりを見ればよくわかる。ことは、
 8月14日の読売新聞に面白い記事がでていた。
 オーストラリアのメルボルンで、全長100キロにも及ぶ巨大なアリの巣が見つかった。豪モナシュ大のエリサ・スア博士らが発表した。

 このアリは「アルゼンチンアリ」。原産地のアルゼンチンでは異なる巣のアリが攻撃し合うため、巣は数十メートルにしかならない。オーストラリアに移入したものは遺伝的な変化によって性質が温和になり、隣同士が融和しながら巨大化したらしい。

 アルゼンチンアリは、世界に広がりながら土着のアリを駆逐し、植物や他の小動物の多様性まで脅かすため、国際自然保護連合によって悪質な外来種100種にも指定されている。オーストラリアでは1939年に発見された。「日本産アリ類データベース」によると、日本では93年に広島県で初めて見つかっている。

(2004/8/14/03:06 読売新聞)
 人間も遺伝子が変化すれば、性質が温和になり、他国の人間を殺すことをやめるかもしれない。



8月7日(土)
 1945年8月7日、愛知県豊川市にあった「豊川海軍工廠」は米軍機の空襲を受けて、二十数分で2500人が爆死した。そのなかに学徒が450人いた。
 それはまさに地獄であった。けれど、広島、長崎の原爆攻撃のかげに隠れて、ほとんどの人はそういうことがあったことも知らない。
 12年前、そのことをもっとみんなに知ってもらおうと思って書いたのが「雲の涯」(角川書店)である。その後「子どもたちの戦友」(角川書店)でふたたび書いた。
 あの当時の子どもたちがどう生き、どう死んでいったかを書いた。二度も書いたのは、その事実を風化させてはならないと思ったからである。
 いつになっても戦争をやめない人間の未来は破滅するしかないのではないか。
 ところで、「雲の涯」はしばらく品切れになっていたが、豊川市の豊川堂(ほうせんどう)の高須社長が尽力してくれ、復刊された。豊川堂では平積みで置いてくれて、毎月100冊ペースで売れているという。そのことを紹介した記事が毎日新聞に掲載されているのでここに載せておく。なお、「雲の涯」を入手したい方はぜひ、豊川堂まで連絡してみてください(電話0532-54-6688)



8月5日(木)
 愛知県阿久比町で行われた「阿久比町現職教育夏季研修会」に講演に出かけた。演題は「教師にできることは何か」−子どもたちのSOSをみつめつづけた作家のひとりごとーで参加者は阿久比町教職員121名であった。
 阿久比町は知多半島にあり、まわりは田園地帯で、夏草が繁っていた。夏草を見ると中学時代を思い出すとはなした。
 ぼくの中学一年の宿題は軍馬の飼料のための草を刈り、乾燥して40キロを提出することだった。朝はやく草刈をして、それを道路に干す。それを毎日やった。あのときの暑さを思い出すせいか、夏の暑さはそれほどこたえない。しかし、今年の暑さは格別である。
 先生に話すことはいっぱいあって、一時間半ではとても話しきれなかったので、少しばかり思い残すことがあった。
 午前中はさほど暑くはなかったが、帰りにはかなり暑かった。それでも今日は30度以下の気温であったようだ。
「ぼくらの第二次七日間戦争」が書店に並んだようだ。今回は援助交際をやっつけろがテーマである。

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