ボクラコム・メールコーナー

2月−5



マリー 10代 女

宗田先生、初めまして!「ぼくらの」シリーズには、いつも助けられています。
私は高校に通っているのですが、クラス内でいじめがあったことに気づきました。小学生の時にいじめられた事があって、その時の辛さは今でも覚えています。でも、私はいざという時、行動に移せずに後悔ばかりしていました。「ぼくら」みたいな仲間はいないし、周りの反応をうかがってしまう人です。それにいじめているグループは、少し怖い人達で、周りも従うことしかできないようでした。
だけど今回は勇気を出して、いじめられている本人から(無理矢理?)話を聞いて、先生に相談してました。私一人でも絶対にやめさせようと決心しました。すると、いじめているグループに対して他のクラスメートは内心、反感を持っていたらしく、話を聞きつけて、みんな協力してくれるようになりました。
まだ完全に無くなったとはいえませんけど、これからも頑張りたいと思います。
勇気をくれた「ぼくら」に感謝です!!
マリーさんへ
すがすがしいメールをありがとう。
君の「勇気」は、君自身でつかみとったものだ。それは、かけがえのない大切な宝ものだ。自分から動いたことは、たとえ失敗したとしても必ず自分の力になる。
受け身で経験したことよりもずっと強烈に心に刻みつけられて、蓄えられていく。
自らつかみとったその勇気があれば、しかも他の人の状況をも好転させることができた「実績」さえあるのだから、困難にぶつかっても、恐れることはない。ネバーギブアップ、マリーさん。
宗田理

N・H 10代 女

一番新しく読んだのは2Aの「殺しの交換日記」です。裏表紙の文のとおり、一度読み始めたら本当に止まらなくて一晩で読みきってしまいました。
有季やアッシーたちと一緒に推理しながら読むと、私も探偵局の一員のような気さえしてきます。マサオやノリコは何をやりたいのか、動機は、二人は人間? 正体は、って考えると読み進まずにはいられなかったです。
それでゆっくり後書きを読んで、多重人格について考えてしまいました。こうやってキーボード叩いている自分は自分じゃないのかもしれない。ときどき学校で見せる顔と家族に見せる顔が違うような気がします。とにかく色々考えました。2Aももちろん、僕らシリーズは大好きです。
一番すきなのはグリムファイル。少し難しかったけど、読み応えがありました。キャラでは相原の大ファンです。あの冷静さがたまりません。実際いたら間違いなく惚れてます。きっとカッコいいんだろうなぁ、と想像膨らませている毎日です(ヤバいって)。宗田先生、これからもお体に気をつけて頑張ってください。期待しています。

N 10代 男

ぼくは『転校生伝説』が好きです。
このシリーズを始めて読んだのは中2か中3だったと思いますが、お互い中学生なのに、学校も余り行かず全国を回っている四郎と松、という2人は、読んだ当時とてもうらやましかった。そして憧れもしました。
僕も昔はよくいろんな人とタイマンでやり合っていたけども、この2人の関係は見ていてとてもすがすがしいものがあります。
今は連載を中止しているとおっしゃっていましたが、続編を期待しています。それでは。

Y・K 10代 女

宗田先生の本を読むといつも自分も仲間になっている気持ちになります。七日間戦争と出会って七年。仲間・友達の大切さをとても感じます。読むたびに自分もこうありたいと思っています。
おかげで私には素敵な仲間がいます。高三の時受験を戦ったクラスの仲間です。これからもたくさんの本を書いてください。いつも楽しみに待っています。

TOSHI 10代 男

宗田先生こんにちは。
最近ぼくらシリーズを読みました。(今回で3度目くらいかな?)そこで改めて気づいたことがあります。ぼくらシリーズでは英治君や相原君たちの若者が中心となって内容が進んでいくけれど、若者たちに対して高齢者の人物も数多く本に登場しています。そして、若者たちが高齢者を大切に思いやる姿が僕はとても好きです。
今、日本は超高齢化社会に変わりつつあります。しかし、僕達は自らお年寄りの方に対してちょっとした思いやりでも起こせるでしょうか?今、若者の体質として「指示待ち姿勢」ということが言われています。ちょっとしたことでも、行動に移せない。何かしてやりたいという意欲はあってもどうしたらいいかわからない。そういう若者たちが増えていることが、今の日本で感じられます。
もちろん、「自分はお年寄りの方にお世話をしたことがある。」という人もいると思います。そういった人はこれからもその思いやりの心を忘れずにしてもらいたい。また、「自分はそういう行動に移せる勇気がない。」という人もいるはずです。そういった人はとにかくどんな小さなことでもいいからやってほしいと思います。
例えば、エレベーターを出ようしているとき、開閉の開のボタンを押しつづけることでさえ、その人の役に立っているのです。また、お年寄りや小さな子供の隣に座って見守ることも思いやりです。このように、僕達はいつでも、思いやる機会に遭遇します。
僕はぼくらシリーズを読み続けるにつれて、英治君達の高齢者の人達に対する思いやりに関心を持ちました。そして、僕達の積極的な思いやりが人間性を大きくすることが分かりました。
TOSHIくんへ
ぼくの作品を読んでそのように思ってくれることは、作者としてもうれしい。障害者やお年寄りの問題というのは、いつ自分がそういう状態になるかということを、イメージできるかどうかが問われているのである。
例えば、体が不自由な人をどう見たらいいか。健常者と障害者と分けて、障害者を特別な目で見ることができる人は自分が永久に(死ぬまで)健常者でいられると思いこんでいるおめでたい人間である。健常者と障害者の差は紙一重、明日にでも障害者になるかもしれないのだ。そのことをはっきり認識すれば、障害者にどう接すればいいか自ずとわかってくる。障害者の問題は自分の問題でもあるのだ。
老人についてもそうだ。いつかはみんな誰でも歳をとる。老人ももっと活躍できる社会にすべきだし、子どもたちとも共に何かやらかしてくれたらいいなあというのがぼくの希望でもある。『ぼくらの七日間戦争』で安永が最初、瀬川老人にどう接し、その後どう変わっていったか。そのことを読んだ人には理解してもらえることと思う。
宗田理

ノゾミ 10代 女

私は今高2です。
matashi君のカキコ読みました。
私自身の話です。
私が中3のとき、高校受験をしました。公立をやはり受験しました。そこは小学校の頃からずっと私のあこがれの地でした。中学時代、すごくそこに行くための努力をしました。塾にも中3の夏からですが通いました。だけど…落ちました。そこの高校には私の学校からは20人受け落ちたのは私だけでした…もう、何とも言えませんでした。悔しかった…何で私だけ…。
私はそこを受けた中でも成績ビリじゃなかった。
中位だったよ。それなのに…ナゼ?
だけど、私、1人のために気まずくなんてできない。だから、笑ってました。先生たちの前でも、友達の前でも…。
唯一泣けた場所、それは会場に結果を見に来て下さった塾の先生の前だけ…。そこだけが、会場で私に泪を流させてくれました。
友達の態度は…、みんな笑ってたよ。心友も受かったし…。同情をかける友達はいませんでした。
心友も、帰り道ずっと笑い話ばっかしてくれて…、それがかえって私には嬉しかった。
同情なんかされたらそこにはいられなかったよ。だって自分がみじめだもん。同情ばかりが優しさじゃない。そのコトを知ったよ。
次の日の学校でのコト。私が落ちたの知ってビックリする子ばっかだった。だけど、みんなの態度いつもと変わらなくて嬉しかった…。
私が落ちて家に帰った時、自分が尊敬すべき人が結果を聞きに来てくれてたんだ。
その人からの言葉…。
「落ちたのはノゾミちゃんが悪いんだよ。誰かが悪いんじゃない。自分が悪いんだ。努力は確かにしたかもしれない。でも、努力不足だから落ちたんだよ。ノゾミちゃんが努力した以上に努力した人が沢山いたから…。ただそれだけ。悔しかったら今度はそれをバネにすればいい。人以上の努力をすればいい」
すごく納得出来た。

matashiくんより心友の方が頭よかったかもしれない…。だけど、それはもしかしたら心友の努力不足なのかもしれない。matashiくんから見ればもしかしたら心友の方が努力したかもしれないね。でも、量ばかりが努力じゃないんだよ…。心で何かと戦うコトも努力の一つだと思う。

私の弟が今年、高校受験でした。私立を受けたよ。私、正直落ちるかと思ってた。勉強全然しないし、担任からも危ないって言われてたから。だけど、受かった。
私、始めはすごく悔しくて素直に喜んであげられなかったんだ。なぜかって…。
それは自分の中で、弟より何倍も高校受験の時、努力したのに、あいつは受かって私は受からなかったから。
みんなから「おめでとう」って言われてるあいつを見るとイヤでしかたなかった。かげで泣いた。悔しくて泣いた。
だけど、そうじゃなかったんだ…。
弟は弟なりの努力してたんじゃないかって思う。確かに勉強の量は私の方が上だったかもしれない。だけど、あいつは、私から何言われても歯くいしばってた。勉強しないでいるあいつを怒ってる時でも受験に対する弱音はかなかった。周りから危ないって言われても自分でうち勝ってきてたんだよね…その努力をしてた。
だから、心友の方が偉かったなんて関係ないと思う。
総合的な努力で心友は受かった人たちよりも足りなかったんだよ。
私と同様にきっと…。

えらっそうなコト書いてごめんね。だけど、心友のコトを思ってるなら同情はやめて。
自然体でいてもらうのが一番楽だと思うよ、心友が…。
ノゾミさん、メッセージありがとう。「心友」というのは誤字で、本当は「親友」と書くのが正しいのだけれど、「心から信頼できる友」という感じが文字からにじみでていたので、そのままにした。全然関係ないが、ある大学生が「政府」を「政腐」と書いてしまったという話をずっと前に聞いたことがあるが、それも心の中で「腐ってる」と思いこんでつい書いてしまったのだろうなあと思い、苦笑したことがあった。
宗田理

モミジ 20代 女

宗田先生こんばんは。初めてメールを送らせていただきます。
いきなり本題に入るのですが、二年前、私の友達が二回目の大学受験に失敗し、けっこうボロボロになっていました。彼女自身は、「私、ボロボロなの」とは言いませんでしたが、私から見るとかなりツラそうでした。一回目の失敗の時からコツコツ頑張って、ある程度の自信を持って入試に挑んだのにダメで、じゃあどうしたらいいの、というような心境だったのだろうと思います。
そこで私は、「私の好きな言葉なんだけど…」と言って、先生の作品の中に出てきた言葉をお借りして、その子に言ってみました。
「青春は挑戦だ。挑戦こそ青春なのだ。(省略)」というやつです。
三回目、彼女は第一希望の大学に見事合格しました。そして、彼女に言われました。
「あの言葉に救われたよ。さんきゅー」と。
私がお礼を言われてしまいました。だから、今度は今さらではありますが、私が先生にお礼を言わなくてはなりません。
あの言葉には、私の友達だけではなく私自身も何度も励まされました。人を動かせる言葉や人間ってすごいですね。どうも、有難うございました!!!
言葉で直接、面と向かって言いにくいようであれば、メールや手紙で何か書いておくってあげるのもいいかもしれない。
宗田理

matashi 10代 男

この2月高校受験でした。
親友と一緒に受験しました。(親友の方が頭いい)
親友だけ落ちました。人気のある公立高校で、倍率が高く、難しいところだったのですが。親友の方がこの高校に、行きたがってましたし、頑張っていました。
合格発表後は気まずい雰囲気で、なにを親友に、言ったらいいかわかりません。
何で親友が落ちたか分からない。とても聞いてみたい。けど、聞けません。
matashiくんと同じような経験をした人、意見を求む。
宗田理

ひで 20代 男

こんにちは!
ひでです。
みんなと熱いはなしがしたいと思ったりするんですけど、みんな妙に大人になったみたいで「俺だけ子供?」って思ったりするときがあります。
友達の言葉は「もう23にもなって、まだ子供みたいなことしてんの?」とか、「いいかげん会社勤めれば?お互い年も年だしさ。」なんてことを言ってくる。なんだ?就職してんのがそんなに偉いのか?俺だって就職してたこともあるさ!でも今やりたいと思ったことが、できなかったから少しでも時間の余裕があるフリーターしてんじゃねーか!!子供で結構!!自分のやりたいこと、自分の生きがいを殺して働くのが大人なら子供で十分だ!!と、少し興奮してしまいましたが、宗田先生はどう思います?
自分の生き方くらい自分で決められない世の中なら、この俺が壊して新しい環境を創る。そう思っていますが、過激だと思いますか?
自分は自分が一番正しいとは思ってはいませんが、自分の責任の上で行動するなら、誰にも文句はいわせたくないです。そう思うことが「こども」なのであれば、そんな不健全な社会に必要性はないと思います。生き方が変わっても、その生き方を尊重してくれる人達、そんな人達は、少ないんだなと思いました。
そういう友達もいるんですけど、今回の奴らも
仲の良い奴等だったので、かなりショックでした。
みんな生き方違うのはわかっていたけど、なんだか淋しいなぁ。人間は良くも悪くも変わっていくもんだと痛感しました。でも自分は自分のままに、たとえ変わるにしてもより大きくなりたいな。そう思って生きています。
会社入るのも良いことだし、自分の生きたいように生きる。
人それぞれなんだから、認め合って生きていきたいな、とおもっています。
それを友達にもわからないまでも、ある程度理解しようと努力してから文句言ってほしい。そして自分もそうありたい。
「またわけがわからない」文章になってしまいましたがまたメールしますので……。
それではごきげんよう。

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