ボクラコム・メールコーナー

9月−4

からめる 20代 女

初めまして。宗田先生の作品と、ここのページを愛読させていただいています。
私は今、短大にかよっているのですが、最近4年制大学への編入試験を受け、無事に合格することができました。
そこの大学は、高校生のときに入試をうければ(↑高校がその短大・大学の付属のようなものだったので)簡単に合格できたところだったので、親には「わざわざ遠回りなことしてるね」などと言われました。
でも、よく考えたら大学受験時にはそこの大学、学科はあまり興味のあるものではなく、他学部の受験を希望していたのです。その学部に失敗して、浪人生活をおくっていた時に人生観を変えてくれる友人がたくさんできました。その1年間がなければきっと出会うことのできなかった人たち。そして、次の1年も希望学部に失敗し、「しょうがないから」
と、受けた短大でいい友人や、他に興味が湧くことにであいました。
それらの出会いがあったから、編入試験を受けようと決心したのです。その出会いがなかったら、私はここまで頑張ることはなかったと思うのです。
まだまだ私の人生は短いものですが、このような「まわり道」が私にとって、重要な、大切な思い出としてあるのです。
今までを振り返ると、もちろん受験に失敗した時はつらかったしいやなこともいっぱいあったけど、そんなまわり道が、こんなに充実した日々を与えてくれているのです。
本格的な受験シーズンはこれから。そのときの精一杯の力を出し切れば、そのときは
「どうして?」と思うような結果があっても、このようなパターンもあるんだな。と、最近思ったのでした。
つたなく、まとまっていない考えですが、読んでくださったかた、ありがとうございました。それでは失礼いたします。

タカ 10代 男

こんにちは。久しぶりにメールします。
僕は今学校で「自由研究」という物を行っています。といってもよく小学校でやるやつではなく、いわば高校の卒業論文のようなものです。
そこでは自由にテーマを決められる(だから自由研究というのですが)、僕が今回取り組んでいるテーマは「宗田理の考える子供救済案とは何か」というテーマです。
そこで、今回論文作成の手がかりとして宗田先生に質問したいことがあってメールを送ります。

とりあえず「子供が変わるには大人が変わらなければならない」という事を結論としてまとめたのですが、そこに行き着くまでの仮定で現在苦労しています。
ひとまずこの論文の柱として「いたずら推奨論」というのを入れたのですが、いたずらという定義があいまいで、うまく定義づけをすることが出来ません。
そこで、以下の事を宗田先生にお聞きしたいと思います。
・勿論いたずらによって傷害は負わせられませんが、どの程度まで容認できると思っていますか?
・いたずらをしなくなった原因として「教師の懐が浅くなった」という事を挙げたのですが、他に原因があるとお考えですか?
・「大人の懐が浅くなった」原因がつかめず、苦労しています。何故か、宗田先生なりの見解を示していただけないでしょうか?

勝手なメールを送って申し訳ありませんが、少しでもいい論文として仕上げたいと思っているので答えて頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
タカくん
懐の深さ
昔は子ども時代にいたずらをしたから、大人になったとき、子どもたちのいたずらも容認できた。いたずらをしたこともないまじめ人間が教師になるのは問題である。そういう教師はいたずらはふまじめだと思うから、本気で怒ってしまう。
最近、家に火をつけたり、老人を困らせたりすることを悪いいたずらといっているが、こういうことにいたずらという言葉をつかってほしくない。
いたずらは子どものエネルギーの爆発である。エネルギーがない者はいたずらをしない。いたずらをすれば怒られる。だから面白いのだ。しかし同時に勇気がいる。もしほめられたら、それはボランティアになってしまう。
いたずらの根底にあるのはユーモアである。人間を信じ、自分も信じられているという自覚がなくてはいたずらはできない。だから弱者にやるといじめになってしまう。強者にしかけて、頭にこさせるのが、いたずらのたのしみである。
ぼくが先生だったら、いたずらを仕掛けてくるワルガキにはこちらからもいたずらしてやる。おたがいにそんなことをし合ったら、学校は楽しいものになるのではないかな。
宗田理

久実 10代 女

アメリカのテロ事件を見て思ったこと。というより、私にはその後の各国の対応が気になります。
アメリカは、自分の国であんなことがあったのだから怒るのは当然だと思う。
でも、「報復」というのは私には納得できない。被害を受けたから、被害者の気持ちも察することができるだろう。それなら「報復」の名で他の人々を傷つけるのは正しくない。
「報復」も「聖戦」も中身は同じ。ただの「人殺し」に過ぎない。そして殺されるのはやはり罪のない人で、結果奪われるのは子供の未来だと思う。
また、小泉首相は日本も協力すると言っているが、真っ先に命を失うのは攻撃される人、また、自衛隊員だ。私の友達の父親は自衛隊員だ。「戦争」を身近に考えると、非のない人が殺されるということだと思う。
今回のテロで亡くなった人に家族がいるように、アフガンの人にも家族はいるし、自衛隊員にも家族がいる。アメリカのあきらさん、もしあなたの身近で銃を手に取る人がいたら、どうかそれを置くように呼び掛けてください。

chihiro 10代 女

葉さんへ
はじめまして。私もよく友達にきついことをいってしまいます。それはくせっていうか、ノリっていうか、悪気はぜんぜんないんです。その友達なら、冗談ととってくれる、この子なら大丈夫って安心しているんです。
葉さんのメールを見て、初めて相手が傷ついているかもしれないっていうことに気がつきました。ありがとう。その友達に直接言ってみたらどうですか? その子も私みたいに思っているのかもしれません。私はこれから言葉使いに気をつけようと思います。

葉 10代 女

初めまして
中1の女です。
私は相談したいと思う事があるのです。
それは友達との事。
彼女はとてもイイ子なのですが少し言う事がキツイのです。
私に対してもちょっと私が間違えたと言う事を話したとたん
「ばっかじゃないの?」
だし、自分も間違えてるくせに
「だから言ったんだよーもう」
とかいうのです。
あまりにも勝手だと思いませんか??
もう困っているのです。

ひまわりらいおん 20代 男

つい一週間ほど前、悲しすぎる事件がおきた。
人がいっぱいいっぱい亡くなった。
5000…なんて数字じゃなくて。
一人一人にいろいろな物語があって…。
一人一人がすっごい重たくて…。
一人一人、過去と現在と未来があって。家族がいて。ふれあった多くの人々がいて。
今晩の食事のことや、昨夜の恋人との喧嘩のことや、週末の予定のことや、将来の自分のことや、……。
そんな…それぞれ一人一人がえがいていたビジョンが、一瞬にしてはじけとんだ。
悲しすぎるよ。
人って重たいね。
命って重たいね。
どんなに苦しくても、どんなに辛くても、自分から投げ出せれるほど軽くなんかないよね。
『命』って。

ゆず 10代 女

こんにちわ、お久しぶりです。あの同時多発テロ事件でかなり思ったことがあります。普段高校生なんて、私たちなんて世界情勢が話題に上がることなんて滅多にないんですが、ここ最近はみんなして「戦争が起こったら」とか「ラディン氏は」とか言っています。今日ふと考えたんですが、これって太平洋戦争と少し似ている気がするんです。50年、厳密にはもう少し前だけど、そのときの日本も少し不安定な情勢だったじゃないですか。
中国や朝鮮半島に侵略してたり。そこで何を考えたか、真珠湾攻撃。
今のアフガンもタリバン政権に人権を奪われ、元居た民族は追い込まれていると聞きます。そして爆撃テロ。
太平洋戦争は広島・長崎の原爆でカタがついたような形だけど、今回はやっぱり核だと思います。
核がどこに落とされるとしても、地球が汚れるのは確かでしょう。
今は戦争なんかやってるより、もっと地球を愛すこと考えなきゃいけないと思います。
21世紀は平和の世紀だと思っていたけど、まさかこんなことがあるとは思っても見ませんでした。
アメリカが太平洋戦争のときと同じことをしようとしているのなら、反対です。
あれから日本は高度経済成長をして豊かな国になりました。
もし、アメリカが報復攻撃をしてアフガンがつらい態勢に追い込まれて、それで何年かして報復して…いつか経済成長をするかもしれません。
でも戦争で失うもののほうがずっと、ずっと大きいと思っています。
アメリカが大好きだから、憧れているからこそ、武力行使は絶対にしないで欲しいです。
もっと、もっと別な意志の表現方法が見つかるはずです。
今はどちらともカッとなっているだけということを信じたいです。
アメリカの愛国心を否定するわけじゃないんです。
ただアフガンの罪のない子供たちや普通の一般人もいるわけじゃないですか。
それなのに武力による報復攻撃をしたら、それはあの飛行機と一緒だと思うんです。
みんな平和を願っているはずだと思います。
本当に、平和なままで終わって欲しいと思っています。

Wish 10代 女

アメリカの衝撃的な事件から、およそ1週間が過ぎました。いまだに、あちらこちらで話題になっています。
今日たまたま学校の先生が新聞をコピーしてきてそれを配り、授業中に読んでちょっとした感想を言い合いました。感想は、人それぞれでした。周りでは、大騒ぎしているけれど、いまいちピンとこない人。大惨事と多くの死者が出たことに、アメリカの人達の心境を察すと言葉もない人。
私は、その新聞を読んでアメリカ人の強さをやはり再確認したというか、日本人にはないものを感じた。衝突前の着ないでは、ちぢこまりながら、携帯電話で各々の恋人、家族、友人、友達に最後の別れを告げたらしい。I love youと、告げられた被害者の家族や恋人のインタビューのシーンは、何度も繰り返し放送されている。
ほんとに胸が痛む。
なかには、機内でハイジャックした犯人と格闘した人もいたようだ。
衝突したビルの方でも、火だるまになった同僚の女性を背中におんぶして、何順回もの会談を下りていった男の人もいる。またそんな彼に、階段を降りていた途中の人は、道を譲ったとも言う。果たして日本人もそんな状況になったら、同じようなことをしていただろうか。
日本でも、ここのところ、大阪の小学校の事件や、飲み屋街のビルでの事件など、悲惨な事件があった。しかし、日本ではそんなアメリカン人の強さのようなものは感じられなかった。
新聞には、国民も戦っているようなことを書いてあったが本当にアメリカ人には、日本にない強さがあるように感じられた。強さも持っているアメリカだが、今後はどうなってしまうのだろう。戦争のようなことを噂されるが、本当になってしまうのだろうか。
どんな解決策がいいのかはっきりって私には、わからない。
報復としてアメリカが、攻撃しても、恨みや憎しみが、またさらなる恨みや憎しみをうむだけで、何の解決もならないだろう。だから、なにもしないというと、テロのおもうつぼになる。ということになるし、なくなった多くの人やその親類が浮かばれないのも確かである。
良い解決策とは……。ほんとにわからないものでる。
でも、一つだけいえるのは、どんな最悪な事態でも、戦争だけは絶対的にさけるべきである。

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