ボクラコム・メールコーナー

5月−3

tak 20代 男

>翔太さんへ

学校での勉強がどこで役に立つかは実際はいろいろあります。
とりあえず俺の意見を書いときます。
まず小学校の勉強は大抵は役に立ちます。
この時の勉強は日本国内で暮らすのに困らない最低限の知識とさらに上の学問を学ぶための基礎になります。
また、「学ぶ」やり方を覚えることになります。
次に中学校の勉強では自分のやりたい事への準備期間になります。
できることならこの時に自分のやりたい道を探すのがいいと思います。
それで、高校ではその方面への勉強を本格的にやるところ。
また、大学はさらに上のレベルを目指す時に行く学校です。
だから俺から言わせれば普通科(例外もあるが)はやりたいことが見つからないので、とりあえずどの方面にも行けるようにまんべんなく勉強する学校です。
翔太さんが疑問に思うのも当たり前ですが、学校はあなただけに勉強を教えているわけじゃないのでみんながみんなすべて役に立つ勉強を受けられるわけではありません。
結局は勉強が役に立つかは自分で判断しなくちゃいけません。
でも、学校に行ってる以上は最低限の成績は取っておいたほうがいいですが(^^;
つまりは役に立つ勉強をしたければ自分の進む先がわからなくちゃいけません。
また、自分の進んでいる方向が違うのなら自分で学びその方向をねじまげないといけません。
いろいろと書いたけど俺の状況を少し書いときます。
中学卒業後、電気関係にはちょっとだけ興味があったのでとある学校の電気工学科に入りました。本当は情報系のほうが興味はあったのですが適当なレベルの学校がなくて電気系に入りました。
でも、勉強していくうちにやっぱり電気より情報系の方が自分にあってると思うようになりました。だから俺の場合、趣味としてパソコンをつつくようにしました。
うちの学校の場合情報関連の授業が全くといっていいほどなかったので独学でやりました。まだ、電気系のところに在学してるけど、情報系の知識はそこら辺の情報系の学校を出た人よりもいいはずです。
独学でも好きなことなら、知識の探求心と吸収力が高いので、どんどん頭の中に入っていきます。だから学校の勉強はほどほど程度にしています(笑
つまり俺のいいたい事は本当に役に立つことは学校で学ばなければいけないことはない。役に立つ勉強をしたければ自分で探せ、ということです。
まぁ、えらそうに長々と書いてすみませんでした。

かのん 10代 女

>さみぃさん・彩華さんへ
アリガトウございました。
まだいろいろとニュースか見ると悲しくなったりすることはあるけど、2人の言ってた事がすごいなんっていうか…納得(?)したりする部分もあって。うまく言いあらわせないけど…。まだいろいろ考える事もあるけど募金などから初めていきたいと思いました。アリガトウございました。

>翔太さんへ
どうして勉強するのか。
自分のためって言われても今やってる数学の勉強、将来絶対に使わないと思うし…。
それ系のお仕事に就かなければ。
おかあさんにどうして勉強するのかって聞いたら「将来の選択肢を広げるため」って言ってました。
ある程度勉強しとけばあれにもなれるかもしれない、これにもなれるかもしれないっていっぱい夢が出来るじゃないですか。
でもあんまりやらないと狭まっちゃうじゃないですか。
でもイマイチ私も納得いかないですよね〜…
まぁ将来自分のためになるかどうか分からないけど、やるだけやってればいいかなって軽く考えちゃってるし。
でも授業真面目に聞いてないから(笑)

リョウ 10代 女

こんにちは。久しぶりにメールをします。
今日学校で嫌なことがありました。

今日の理科2の授業のときに人の呼吸についてみたいなことをやりました。
そのときにATP(アデノシ三リン酸)というのがでてきました。
すると、ある男子が「ATPをアトピーって覚えればいいじゃん」と言いました。
クラス中が大爆笑になりました。
そして、またまたある男子が「アトピーの人ってカンニングじゃん」とか言いました。
そのとき先生は「アトピーの人に失礼」と注意しました。
そしたら男子が「この中でアトピーのヒトー?」といいました。
先生はまたまた「アトピーの人に失礼」というようなことを言いました。
実は私はアトピーなのです。その授業のときクラスの人は私のことを言ったわけではないと思うのですが(というより私がアトピーだと知らないと思います。)自分のことをいわれているような気がして泣きそうでした。今も泣きそうです。悲しかったです。

このことが今日あって私はふと思いました。
人は軽べつされるとすごく傷がつくのだと。
今もクラスの男子の言葉を覚えています。
私も今まで軽べつをしたことがありました。
このことがあって軽べつということについてよく考えました。
苦しみがわかった気がします。こんなことでわかるなと思う人もいるかもしれないですが…。
私はこれから人を軽べつしたくないと思いました。
意味がわからない文ですみません。

彩華 10代 女

かのんさんへ
私もそれは考えたことあります。
例えば普通のコンビニとかにある募金箱。これは本当にそこの場所に寄付されているのかとか考えてしまうんです。だって寄付されたっていう実感というかそういうものがないじゃないですか?
1つの国でも平和ではなければ世界平和ではないと私も思います。
というより平和ってなんなんでしょ?それがわかりません。
そして、私も平和ではない国に対して何をしてあげられるのかっていうのがわかりません。
祈るしかないんでしょうか?
なんかこういうことを考えると自分が本当に無力で情けないってことを実感します。
日本は確かに平和かもしれない。しかし平和と言われている日本の中でも殺人とかあるじゃないですか。それでも日本は平和と言えるのでしょうか?
たぶん世界平和と本当に呼ばれるときはこないんじゃないかと私は思います。
そしてもしそうよばれる時がきたらその時は殺人や小さな争いごとがなくなっているときだと思います。
そんな戦争して人を殺して国にとってなんの得になるんですか?その人を殺してなんの得もないし、悲しむ人を増やすだけです。私はそう思います。
争いなんてしても意味がない。なんで人間はもっと広い心が持てないのでしょう。
もっと心の広い人がもっともっとたくさんいれば争いなんてなくなるんじゃないでしょうか。
なんで狭い心の人に限って国会議員とかになるのでしょう。なんでそんなきたないことをするのでしょう。そこまでして地位や自分に得になること得たいのですか!?
偉い人だからこそ狭い心の持ち主だったりするんです。
もっと自分のことだけじゃなく世界を見てほしいと思います。
なんだか長々と書いてしまってすみませんでした。

翔太 10代 男

僕は学校に通っているとき、ふと思うことがあります。僕たち子供はいったい何のために勉強しているにだろう。
そこで僕は、先生に聞いてみました。すると先生はこういいました。自分のために勉強しているのだと。
僕はその答えに納得がいきません。先生の答えを聞いていると、どうしても矛盾しているような気がします。自分のためとはどういうことなのでしょうか。学校での勉強が本当に自分のためになるのでしょうか。僕にはどうしてもわかりません。

さみぃ 10代 女

>かのんさんへ
私にも世界の為に何ができるかなんて分かりません。なんとなく今の世界の実態を大人達は隠しすぎていると思うんです。日本に住んでいる限り豊かな暮らしをしているんだと思います。だから募金をしたり戦争で傷を負った人の手助けをしたりしています。
けど、私達子供は何にもできません。私は一度だけユニセフが作ったビデオをみたことがあります。小学生か中学生くらいの子供も働いていました。そのビデオを見た後で担任の先生が言ったことは
「みんなも学校にも行かず働きたいか?ぜいたくな暮らしができない人達の辛さがわかるか?」
というものでした。
私にはわからないことがあります。豊かなのが幸せなのかということです。
ビデオに映っていた子供達はみんな笑顔でした。多分、日本みたいに自殺する人なんていないんだと思います。だから本当の幸せとか本当の豊かさってどういうことなんでしょう。
話の主旨が変わってしまいましたが、そうやって色々考えていると、どんどん深みにはまっていくようです。私には結論なんて出せませんが、最終的に思うことは自分に出来ることというのは、人それぞれなんだということです。年齢とか家の事情とかによって違ってくると思います。
自分であれこれ考えて出来ることを探していけば良いんだと思います。そのためなら時間はどれだけかかっても良いと思います。だから私は焦らずに今の気持ちを心のどこかに置いておいて、大人になった時に実行すれば良いと思います。
長くなってしまってごめんなさい。

祐希奈 10代 女

フミタケさんへ
それと同じ様なことって時々起こりませんか?
私の場合は電車通学なので電車の中でお年よりを見たら席を譲る様に心がけています。
でもちょっと不思議に思う事があるんです。私達が「お年より」だと思って席を譲ろうとすると逆に怒ってしまう人もいるんです。「自分は年寄りなんかじゃない!」ってことで。そういう時ってすごく困りますよね。だから私は「無理に席を譲ることなんてしなくて良い」と思ったんです。
フミタケさんの場合も同じ様なことじゃないかと思いますよ。「相手が困っていたら手を貸す」という感じで良いと思います。自分から無理に手を貸して相手にショックを与えかねません。と思うのは私の勝手な解釈なんですけど。
その人達だって自分の意思は持っているわけだし、自分の考えで物事を進めようとも思っているはずです。肩の力を抜いて周りを見てみたら良いと思うんです。肩にぐっと力を入れて周りを見ても余計なものの方が先に目に入ってしまったりしませんか?
フミタケさんはとても良い人だと思います。そう思うのはとても立派です。でもその意思を人に伝える前に現状を考えてみてそれでも手を貸すべきだと考えてみてから実行に移したらどうでしょう?

なつさんの言葉から一理あると思いました。「日曜日に、ボランティアでゴミひろいを大々的にやる人よりは、当たり前のように普段から見かけたらゴミを拾って捨てている人の方が、私的にはすごいとおもう。 」確かに私もそうだと思ったんです。「ボランティア」って確かに良い言葉だし良い行いです。けれどその行為は「自己満足」なのかも知れないと思いました。
本当にこれは私的な感想なんですが。ボランティアなんて言葉はまったく必要無いものです。あくまで私達が自主的にやるべき行為ではありませんか?ボランティアの関係で仕事をしている方もいらっしゃるのですが、私達にとっては普通に出来なきゃいけないことをわざわざ「ボランティア」という言葉で人を集めてやるべきことではないと思ったのです。
だからちょっと話がずれるけれど、電車の「優先席」もいらないと思います。私達は人間なのですから「この人は座らなきゃいけない」とかいうことがわかるはずなんです。だから自主的に席を譲れば「優先席」なんていらないと思うんですよね。(^^;)本当にこれは勝手な意見なんですが…。
変な意見を長々と書いてしまってすみません。祐希奈でした。

タカ 10代 男

お久しぶりです。前にえりかさんが「生きる意味」について述べていたので、少し僕なりの意見を言ってみたいと思います。
まず人の人生なんて、とてもくだらないものだと思います。なぜかと言うと生まれてから人はひたすら勉強ばっかして、大学に入って、会社に入って、そして年をとって仕事が出来なくなったら、あっさりと首になって、どんどんふけていって、最後には死んでしまう…。所詮人間なんてこんなものなんです。
だけど、なぜ人は必死に生きようとするのでしょう?
それはなにか自分で成し遂げたいことがあるからだと思います。つまり「生きがい」です。
だから人は「生きがい」を見失ってしまった時に死にたくなるのではないでしょうか?
確かに生きがいを見つけることは、とても難しいと思います。けれどどんなちっぽけなことでもいいから、それを見つけて、それに向かって必死で努力することは、本当に素晴らしいことだと思います。結局はそれが人生なのではないでしょうか?
しかし大人達は、勉強して、いい大学や会社に入ることがいい人生だと教えます。なぜ大人はこんなことを言うのでししょうか?
大人だって、自分が子供のときはなにかしら夢をみたはずです。そして最近では自分も大人になったら、そうなってしまうのではないかと思います。
一体、この先何が自分をかえてしまうのか?
まだ経験していないけれど、とても不安です…。
p.s. えりかさんも何か「生きがい」を見つけて、頑張って下さい!それでは。

A子 10代 女

宗田先生、こんにちは。
中学の時にハマった『ぼくら』を久しぶりに読み返していたら懐かしくなりました。
『ぼくらの卒業旅行』を読んでいて、今の私もちょうどこの辺だなぁと思いました。

私はこの春高校を卒業して、今は浪人をしています。
一応予備校に入っているけれど、なかなか行けません。
対人恐怖症と言ったら大袈裟になるかもしれないけれど、人と会ったり話したりするのが恐いんです。
もともと人見知りが激しい上に、小、中学校でいじめにあって、悪循環に人が恐くなってしまいました。
人の中にいると、緊張してお腹を壊したりもします。
3ヶ月ほど前から、心療内科でカウンセリングを受けたりもしています。
でも、なかなかよくなりません。
予備校にも行けないし。
大学に行ってみたいという気持ちもあるけれど、これまでのことを考えたら不安で勉強も手につきません。
先が全く見えません。
大学に行った友達はみんな楽しそうで、どんどん距離ができていくような気がします。
自分から何かしないといけないことは、頭では分かっているんだけれど、動き出せずにいます。
今の私は「引篭もり」なのかもしれません。
明日のこと、将来のことを考えると絶望的になってしまいます。

しずか 30代 女

こんにちは。
 >何でもけっこうです
 と言うお言葉に甘えてメールさせていただきます。

宗田さんファンの息子を持つ宗田さんファンの主婦です。
トップの若々しくさわやかなお姿を拝見してうれしい私です♪
じつは我が家の4件先に葬儀場が建つことになりました。住宅密集地のまんなかに、です。
忙しく過ごす私は最初驚いたものの”しかたないな、これも生きて行くってことか”などと達観し、詳しく知ろうとせず、多忙な毎日に追われていました。
周辺では着々と反対運動の活動が進んでいました。しかし達観している場合ではなかったのです。
今年、我が家はたまたま町内の組長。こうゆう反対運動の時は代表者として誰かの名前が必要。当然組長の名前を、、、、ということになってしまいました。
仕方なく出席した会合で詳しい説明を受けた私はその葬儀社と建設会社の強引なやり方に次第に疑問を持つようになりました。
そして葬儀場が建つこととはどんな毎日になるのか、そしてどんな将来になるのか考えるようになりました。
すぐ近所には市が建てた老人センター(お年よりの活動の施設)、小中学校があり、小児科、病院もすぐ近く。敷地の脇の道路は通学路です。
その筋の方のお葬式の時は周辺の人たちは家から一歩も外へ出られないほどだとも聞きました。

個人的には、ただでさえもてないわが息子たちが葬儀場が近いんじゃねぇ〜と彼女に振られたらどうしようとか、具合が悪くて寝込んでいるときもお経が聞こえてくるんだよなぁ〜とか…。
このところセレモニーセンターの乱立で足りてないとは思えません。それでもなぜ建てるのか。
月に3件のお葬式があれば採算が合うらしいのです。知りませんでした。
地域周辺では反対の看板を掲げ、署名を集めていますが、業者は昨年末、隣町での反対にあい失敗をしているので水面下でいろんな手を使い(使っているらしい)住民に何の説明もなしに市の認可がおりる前に整地しはじめました。
結局、市の認可もおりてしまったという現状ですが。住民は納得していません。
市に抗議にも行きましたが法律に基づいてということの一点張りなのです。
市長も仕方ないねぇ・・・と。
全国にはいつのまにかたってしまった、と泣き寝入りしている方々もたくさんいると思います。
今現在、葬儀社社長に説明の会を開いてほしいと申し出ていますが、こちら側が4、5人なら開いてもいいなどと言っています。もちろんこちら側は多数の参加を望みます。

こんな活動の渦の中に入ってこの活動の先を考えた時、思いました。
宗田先生ならどんなシナリオを書かれるだろう、と。
そうしたら不謹慎にも少し楽しんでしまおうか、と元気も出てきました。
葬儀場予定地に幽霊がでるなんてうわさしても冴えないしなぁ〜などと思いながら。
久しぶりのメールがこんなことで申しわけありません。
でも今、私なりに戦っています。 近所の方が作成したHPです http://www.tees.ne.jp/~nobita/

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